「仕事って、創り出すもの」
私は自分が起業したくてしたわけではありませんでした。
自分のいた会社が傾いたり、
自分のいた会社が傾いたり、
自分のいた会社が傾いたり…(笑)
やむなく「背に腹は代えられない!」と起業した一人です。
今流行りの「プチ起業」のように楽しい道のりではなかったので
とにかく必死!
でした。
自己投資で貯金なんてない生活でしたし、
小さい子供が2人いたので家庭と勉強、仕事の両立。
やることなすこと、真新しいことだったため家族からは猛反対!(笑)
学費も資金も家庭のお金を使ったりしませんでした。
そんな私が、かつてやってきたことを一部、後悔します^^
●ネイリストになるために&なってからやっていたこと
・ネイルサロン&スクールを開業した先生のもとにお客としていく(リサーチ)
・ネイルの勉強は先生のハンドモデルとなり「見て」覚えた(学費ゼロ実現)
・パソコンは持っていたので暇な時間にひたすらブログ更新
・自宅サロンの弱みを「強み」にした顧客設定をした
・ターゲットを絞り込んで集客をした結果、紹介でお客様もGET
・色彩感覚に長けてたのでオリジナルの色を作ってお客様に提供していた
・夜のお姉さん、美容師などのオサレさんたちにも好評だった
・ネイル雑誌に作品投稿をしたら見事に掲載された(力試し)
・雑誌のデザインの再現が得意だったこともウリにした
・当時県内でほとんどの人が使っていないエアブラシを使ってた
・高単価のウェディングネイルチップに力を入れていった
10年前、
「ネイリストなんかで食えるもんか」と言われてた新潟で
率先してネイリストになっちゃった一人です。
◇辞めた理由
「流行ってきたし、もういっか」
●スピリチュアルアドバイザーの時にやっていたこと
・ネイリストも並行していたので+αの開運素材とデザインを提供
・ブログと無料のネットショップを使いアクセサリー販売
・オーダーメイド作品作りへ(相談~仕入れ~納品)
・メール鑑定などもやっていた
・「商品は通過点」お客様の願望を叶えるのが仕事という意識を常にしていた
・スピリチュアルアドバイザーではあったが
「君がしてるのはコンサルタント級」と某銀行のお偉いさんに言われた
お客様を依存させず、
成長して自分の力で進みたくなるような相談スタイルを心がけていた。
また、心理学を実践段階で使えていたので
「●日●時くらいに○○へ行くと会えると思いますが?」
といった行動戦略アドバイスもこのころからやっていた。
(メンタリストに近いことをしていた)
霊視は基本的に死者の言葉をそのまま伝えることはしないが
お客様の要望で亡くなったご家族の声を伝える際に
「遺書」の内容そのものをお伝えすることになる。
◇辞めた理由
上記のことがきっかけで霊視をやめた
●セミナービジネス界からセールスコピライターへ
たまたま読んでいた起業家のメルマガで募集された
「セミナービジネス塾」に応募。
副特待生枠で入るも、右も左もわからない落ちこぼれに。
その後、勇気を出して送った相談の原稿が先生の目に留まり
「セールスコピーライターにならないか?」
と誘われるがままセールスコピーライターの世界へ…
入る前に
<貯金ゼロ>
で東京の説明会を後にする。
帰りの新幹線で本気の悔し泣きをしながら新潟に戻る。
※これまでにビジネス塾や商材を買い漁っていたので…
しかし、
恩師からの説得や自身の諦められない気持から
ヤフオクで頭金●十万円を3日間で捻出する。
↓
書く力がお金を産んだ!を力強く実感した
無事にセールスコピーライター塾に入ったら
なんと女性は私一人だった…
その後、3人のセールスコピーライターの師匠の下、
「叩き上げ」で書く人間として生きる。
右も左も分からないスタートなのはいつも一緒。
置いてけぼり食らいたくなければ
人の何倍も勉強するかしかない!というスタンスでした。
私は特別な才能があったわけでもなく、
自分の持っているものを整理して
何が出来るか、それを誰に提供したら喜ぶか?
これを常に考えていました。
これから自分で仕事をしたい人、
もうすでに何かをしている人で躓いている人の
参考になればと思い一部ではありますが綴っておきました。
あと、成長したいなら
「スゴイ人たちに飛び込むしかない」
ということ。
「ビリギャル」ではありませんが、
頭がいい人の中に飛び込んだら頭がよくなるのと一緒です。
付き合う人を変え、環境を変える。
それが自分を変えるために必要なこと。
今までのやり方で成果がないなら
今までと逆の方法でトライすればいい。
「話をすると行動をしたくなる」
とよく言われる未来の可能性をつむぐ「つむぎびと」です^^