ごきげんいかがですか?
Space☆Gratiaの住人
龍の意識を司るmakiです♪
 

 
ひとつ前の記事で
忠恕という言葉にフォーカスしました


さらに調べてみたら
孔子の教えに導かれました


その間、Queenの"テヲトリアッテ"の
日本語歌詞の部分


手を取り合って
このまま行こう
愛する人よ

静かな宵に 光を灯し
愛しき教えを抱き


これがずーっとリフレイン
特に愛しき教えという言葉に
魂が反応しているのを
感じていました


さて、孔子ですが



其れ恕(じょ)か。
己の欲せざる所
人に施すこと勿(な)かれ。

 
それは思いやりです。
自分がされたくないことを
人にしてはいけません。
 
 
と、説いています


が、その後に弟子にこう伝えています



孔子は

「本当に思いやりをかけないといけない相手は自分自身」と


 
(T^T)


『思いやり』という言葉は
少し同情的なイメージがあって
(上下関係のある視点で見てしまうとね)


それを自分に向けたとき
『甘やかす』ようなイメージを
持たれる方も少なくないと思います


思いやりは決して
強い者が弱い者にかける情けでは
ありませんよね


思いやりの心には
強い弱いや損得をはじめとした
二極は存在しないんです




そして孔子は
この自分自身への思いやりを
次のように表現しています



「論語」の中で、弟子が「先生がおっしゃることは高尚すぎて私は及びもつきません。」と言う場面があります。

そんな弟子に対し、孔子は「及びもつかないなんてそんなこと言っちゃいけないよ。途中まで追いかけてきて、ぶっ倒れればいいじゃないか。それを最初から”私は力不足だ”とか”力が足りない”というのは、自分で自分を見限っているんだ」と言いました。

自分で自分を見限るという行為は、自分に対する「恕(じょ)=思いやり」とは正反対のこと。これ→参考資料




思いやりとは
情けをかけるだけにあらず ですよね。



思いやりや優しさ
という言葉は
時として、間違った解釈で
取り入れられていることがあります


他の言葉もそうですね。


私たちは知識として
たくさんの言葉を知っていますが
その本質を正しく理解して
人生に活かせている人は
とても少ないんじゃないかと
思うんです


例えば優しいという言葉も

場合によっては


優柔不断の元になったり
八方美人と言われたり
弱さの象徴にされたりしますよね


でも本当の優しさは
思いやり同様

人が人として生きるとき
その在り方を確固たるものする
強さとなるんですよね。


そしてその生きざまは
目にする人々の心を揺さぶり
感動を呼び起こし
魂が涙するという現象までも
引き起こすことが出来るほどなんです




さて、ちょっと脱線しましたが


恕という生き方
忠恕の精神ということが
少し伝わりましたでしょうか?


このブログを目にされた方の魂に
この想いが届くことを願って…


紀元前から
大切なことは変わっておらず
また、残念なことに
それを大切だと素直に認められなかった
人類の縮図が 今 となっているのでしょう

だからこそ
今 この時を ひとりひとりが
チャレンジと捉えて
考え方、生き方、物事の捉え方を
変えていくことが必要だと
思うのです。



今日も長らくお付き合いくださり
ありがとうございました😊
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