
ランキング参加中です♪
ぽちっと応援お願いします
(*´∀`*)
↓ ↓ ↓![]()
にほんブログ村
『認める』
よくね
子どもを認める とか
配偶者を認める とか
相手を認める ってこと
起こったことを認める ってことが大事だよ
って話しになる
確かにそうだと 私は思う。
そしてね、人間関係だけじゃない
動物たちとの関係の中でも
ほとんど と言っていいほど
『認めてほしい』という
キーワードが出てくるんだ
私はずっと
飼い主さんが 心のキャパを広げて
動物たちの思いを受けとめ
受け入れ、認めることで
動物たちが満たされると思ってきた
現に そうだった
人間関係においても同じで
私が100人超のママさんを相手に行った
隠れ実験では、
認めてほしい‼ という
ママさんたちの心の叫びに対して
いかにして認め受け入れるか?を軸に
対応していくだけで
トラブルなく 円滑に
また 気分よく 様々な活動が行えたし
トラブルになりそうな時でも
誰も 我慢することなく
丸く収まるのだ
でも ひとつ引っ掛かった
確かに 私の気付いたところは
間違ってはいなかった
でも、私のような者がいなければ
成り立たない という事実も同時に
確信した
なぜなら 私が関われなかったグループは
完璧に崩壊したからだ
楽しむことを頑張って
気付けば 我慢の連続で
私が 我慢すれば 丸く収まる
と、完璧に悲劇のヒロインが誕生した
そして 同時に 悲劇のヒロインを擁護する
取り巻きのような関係性が生まれた
そして 相対する人を攻撃し
(表向きには 受け入れている!)
どこへもいかないイライラ
生まれ続ける ネガティブな思いは
取り巻きの要らぬエネルギーと共に
膨れ上がり、最後は大爆発したのだった
ザ☆修羅場Ψ( ̄∇ ̄)Ψ
おっと…
まぁ これも現実で 非常にわかりやすい
事例だったように感じるけど
そんなことを 言いたかった訳じゃないf(^_^;
要するに 認めるってことが
多くの人にとって
とても大事なキーワードであることは
確かだということ
そして 誰かがそれをしてあげる
誰かにそれをしてもらう
ということで 一時的に変化を感じられ
目先のことはうまく行くが
その人の 本当のしあわせ を考えたとき
それでは 決して十分ではないということ
そして ここ数年の私が
気付くことさえ 思い付かないほど
根深いところにあった感情と
この認めるということが
似て非なる感情であったこと
そこに気付いて その感情を認める
というよりは、その感情を感じ尽くす
燃え尽きるまで ただ眺めている
ということの 大切さと
それを再燃させてしまう
いわば 感情の燃料になってしまうような
情報が あまりにも多すぎる日々の生活の中でそれを行うことの難しさを痛感した。
だから 修行者は
人里離れた 山奥にいくんだろうな…
が、ものは考えようで
その燃料のような情報を
チラ見することで
あっ、まだ反応してるな!という事が
わかって、さらに深く見つめていくことも
できる ということも体験した
認める は、確かにキーワード。
ただ ひとりひとり 微妙に違う何かを
隠しているように感じる
こんな生き方は面倒くさいかもしれない
そのレベルでいいのなら
下手に手を出さない方がしあわせかも
しれない
あなたが どこまで自分を
この世界を知りたいのかは
あなたのさじ加減なのかもしれないね。
どこまでも掘り下げたい方
一緒に掘り下げてみませんか?(*^^*)