3.11 東日本大震災 | *life is like a box of chocolate*

3.11 東日本大震災

3月11日14時56分 東日本大震災

このことについて、ブログを書くことは少し迷ったのですが、言葉で記したかったのでしっかり書きたいと思います。


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地震が起こった時、短期の派遣スタッフとして働いている、都内のオフィスにいました。
地震だ。と分かった瞬間、思考回路がストップ。
会社の人が言うがまま、机の下にもぐり、机にしがみついていました。

収まった後、その場から全く動けませんでした。
頭の中にあったのは、阪神淡路大震災の時の記憶。
当時小学1年生の時に見た、全て割れてしまっている食器の山や崩れ落ちた本棚。
朝ごはんに食べたスナックパンのやさしい味。
お隣さんの玄関の割れた水槽で死んでいる金魚と階段に落ちていた血のあと。
そして、とてもとてもキレイだった、窓から見える朝日。

どうしよう、またあんなことが起こるのは嫌だって。
こわくてこわくて、自分でもびっくりするぐらい、身体が変な反応をしてた。

とにかく、ビルから外へ出て、その後またビルに戻り席に着く。
その後、社長からの指示で帰ってよいということだったので、歩いて家まで帰りました。


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東北の映像。津波に全てがさらわれていく様子。
東京の、関東の、映像。静かに列に並ぶ人たち、不安そうな顔。
心が痛くて、痛くて。でもどうしたら良いか分からなくて。

帰ってからしばらく2、3日は、正直不安と恐怖で何もできず、布団に包まり、余震が来るたびに布団の奥にもぐっていた私。
何やってんだと、こんなことしていてもダメだって分かっていたけれども、本当にダメダメだった。



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布団の中でいろいろ考えて、ネットでいろいろ見て。
その1週間後に出た結論は、あの時と今は違うということ。
まだ小学1年生で、できることは本当に限られていたあの地震からもう16年。

今、私は23歳。

あの地震を振り返って思うのは、みんなができることをやることが、被災地に元気をもたらし、復興への力になること。
例えば、私にとってあの時のオリックスのがんばりは一生忘れられない、元気をくれるものだった。
だから今でもオリックスは私にとって「ヒーロー」という言葉が似合う球団。
お笑い芸人が、お笑いをやってくれたり、近所のおじちゃんが紙芝居をやってくれたり、動ける人で炊き出しをやってくれたり。
前を向かないと進めない。動かないと進めない。そういうことなんだと思う。

被災地の人たちが本当に大変な思いをしているからこそ、自粛したりして動かなくなるんじゃなくて、できることがある人たちは、それを実行したら良いんじゃないかと私は考えている。

だから、16年経った今、自分ができることは何だろうと。

私は震災支援のエキスパートでもないし、
すっごいお金持ちでもないし。

でも、できることは必ずある。
震災支援のエキスパートの人が人を救助したりするように、
お金持ちの人が大金を寄付するように、
私にもできることがある。

それを少しずつでも実践していくこと。
それが大事なんだって思う。
もちろん、日々のことを大切にし、生き抜きながら。

そして、この震災のことを忘れないこと。
1ヶ月経っても、1年経っても、10年経っても、30年、50年と経っても。



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東日本大震災の被災者の方々に、少しでも早く心が休まる日が訪れますように。