年の瀬も押し迫り、どの方も心なしか忙しそうに

見える今日この頃。。


ラッコ母も魔の12月を(病院、手術が混む混む)

過ごしております。。

そのせいなのか、悪夢をみるみる。。。ガーン


怖すぎて、眼が覚めます笑い泣き

フロイト先生ならなんて言われるのだろうか。はてなマーク


今朝も悪夢で飛び起き、夢で良かった〜

まだ起きなくても大丈夫。。。と

温かいおふとんにくるまりながら

隣のラッコちゃんの寝顔をみていたらニコニコ


高校受験の時に塾で友人になった人のことを

うつらうつらとしながら、思い出し

友人って、何でしょうーと考え込んでしまいました。


父親が同業者、母親が専業主婦、境遇が似ていてるけど

彼女は帰国子女でネイティブスピーカーが故に

学校でいじめられていて、電車で会うたびに

いろいろな話をして、どんどん仲良くなっていき、

高校も大学も学部も違ったけど、大学時代の夏休みには

2人でヨーロッパ: バックパック旅行45日間したり。。


かなり仲良かった友人で、話も価値観も合うと

思っていました。


結婚して、彼女に子供ができた頃から

ちょっと話が合わないかも。。。と思うように。

お子さんに恵まれた彼女。


自分のこども新聞を手造りして、定期的に

送ってくるようになりました。


はじめは楽しく読んでいたのですが、

何年もそれが続き

そのうち自分がなかなか子供できず

不妊治療を決意することに。


でも彼女のこども成長日記でもある、こども新聞は

送られてきます。


だんだんつらくなってきた私は

思い切って、彼女に自分の不妊治療の話を

してみました。


でもそれでも、こども新聞は送られてきます。

きっと私は彼女に嫌われているのか、

私が喜ぶに違いないという善意の固まりで

送っても大丈夫と思い込んでいるのだろう。。。


被害妄想に取りつかれる

自分がイヤになってきて、


距離をとろうと思いました。


そして、何とか不妊治療の末に

ようやく私は妊娠しました。

そして、ほぼ同時に彼女も妊娠していたのです。


そして、私は産休前に

常位胎盤早期剥離で緊急帝王切開で

ラッコちゃんを出産。

超低出生体重児で胎児仮死状態。


その1ヶ月後に彼女は第三子を出産。

元気な女の子で、私にまたこども新聞を

送ってきてくれました。


母が私の出産後に、

彼女にそっとしておいてやってほしい、

子供がNICUに入院しているので。。

と話していたのですけれど。


それから彼女とは

ずっと距離をおこうとしていても

私の外来に

定期検査に来られるのです。


私と会うと安心すると。


私はそもそも人間が出来ていないと思うのですが

やはり、彼女を許せてないようです。


悪夢をみたあとに、思い出すなんて。


友人というのは。。。。

本当に追い詰められた時に

誰が友人か、分かるのではないでしょうか。


私も、高校時代の友人に対して、

今思うと雑なことをしてしまったと

それもいつも反省しながら、思い出すことです。

高校時代のその子も、私のことを

許してはくれないだろうな。。。


人のことを言えた義理ではないのだけれど


やはり、無理なものは無理なので


友達は、自分が今もそう思える人しか

友達と呼びたくないですね。


何だか長文で、暗い話を独り言してしまいました。

これを読んだ方、すみません泣


高校時代に戻れたら、私の友だちだった子に

謝りたいです。

そして、私の友だちだった彼女のことは

忘れてしまいたいです。


今度は、忘れる力という本を読もうかな。


高校生には読んでほしい↓↓↓



大人には、ちょっと物足りないかもですが照れ口笛


次は楽しいブログを書きますーチュー