バリ島が好き。

10回目から訪れる回数を数えるのを辞めた。

しかし何回訪れてもお客さん的な感覚というか、

ひとつ距離をおいてしまう神々しい島。

簡単に好きといってはいけない威厳を感じる。

 

海側はいつもサヌール。

不思議な場所。

ほとんどはウブドという山側に滞在する。

友人のコテージに滞在。

ウブドからやや離れ大地につつまれ安眠できる場所。

友人は、

ここの土地はそういう場所と占い師?に言われたと。

まるで宇宙の中?

懐かしいどこかににいるような感覚。

 

ウブドの過ごし方。

何もしないで田んぼで作業しているアヒルを、

朝から夕暮れまで眺めるのが好き。

空気の流れや空の色、太陽の光が

流れる時間でかわるキャンバス。

夜はガムランの音にひかれてバリ舞踊を見に行く。

夜は星や月、ヤモリやトッケーの声を聴きながら

夜のしじまを感じる至福。

自然のなかにいる自分。

そして、宗教、人生。

 

バリを訪れるまでは、

死ぬことがこの仕事をしていてもこわかった。

バリヒンズーの考え方で私はかわった。

 

クリメーション。

バリのお葬式(火葬)がきっかけ。

観光のインフォメーションで

「火葬があります」とイベントのように示される。

目の前で人が火葬される。

ガムランの音と人が焼かれる匂い。

そのまわりで観光客が写真をとっている、

アイスクリームが売っている。賑やか!

私もアイスクリーム買って、

ガムラン奏者の横に座る。

 

「プトゥ・スティアのバリ案内・木犀社」より抜粋。

火葬とは肉体をまっとうすること、

人間の肉体を形造っている諸元素を自然に返すことだ。

死ねば、魂(Sang Atoma サン アトマ)が出て行って、

肉体が残る。だからその肉体はがらくたと変わらない。

ゴミと同じですぐに焼却しなければならない。
肉体(小宇宙)を形造る諸元素は、大宇宙にあるものと同じである。
肉体を形造る五大元素(Panch maha bhuta)=

地 Pertiwi、水 Apah、火 Teja、風 Bayu、空 Akasa 

から成る諸元素は、自然とまったく同じであるだけでなく、

自然の元素を借りてもいるのだそうだ。

魂が肉体を離れたら、この借りたものは返さねばならないのだ。

 

魂は風に、

灰は海へかえるだけなのだな。

よくいままで生きたね。

現世、バイバイというお祭り=火葬と認識した。

 

それからは、

癌で一緒に戦った彼女たちが去る時には、

涙はでるけど

(医者のくせに泣くなとわれる)

悲しむのは失礼だと。

お疲れ様、mataneと思えるようになった。

 

患者さんに、

私が死んだら先生、悲しむでしょ。

ダメよ。

先生はやることがたくさんあるの。

と言われたことがある。

そうだ。

悲しみ続けるのは失礼なのだ。

自然にかえるだけ。

 

今生きているなら、

かりた体は大切に扱おう。

かりものなのだから。

そして自然にかえる日まで、

命があるなら今を楽しみましょう。

 

なんだか他愛ない話。

断捨離中にバリ関連の品物がたくさん。

私の考え方を変えてくれたバリに感謝。