ピアノの星・指導法

ピアノの星・指導法

ピアノの教え方ってむずかしい。
自分だって習ったはずなのに遠い記憶で消えている。
どうやればうまくいくの?
指を見る、鍵盤を触ることから始まって、聴音、作曲にいたるまでひとつひとつ体系化しながら相手の成長に寄り添った教え方をしてみよう。

ピアノを教えるのは試行錯誤の連続ですよね。
教え方というのを習ってきてるわけではないから。
苦労の連続だな~と思っているときに、私は酒田音感教育と出会いました。

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『ありえないほど幸福になる〈許し〉の法則(4)~恵まれていてごめんなさい~』

 

みずがきひろみ

 

 (お借りしてますありがとうございます)

 

「みんなで幸せになりたい!」が癒やしの鍵

 

「恵まれていてごめんなさい」という罪悪感があると、

欲しいものが手に入っても喜びを感じられません。

 
ゼロサムではなく、「みんなで幸せになる」ことを目指して周りの人を応援すると、
この罪悪感を越えてありえないほどの幸せを呼び込めるようです。

 

―――――――――――

 

 

 

こんにちは。みずがきひろみです。

 

ありえないほど幸福になるのに感情のブロックがあるとしたら、

その最たるものは「恵まれていてごめんなさい」という気持ちではないでしょうか。

 

この罪悪感はどんなに「いいこと」も罪悪感のネタにして「嬉しい」「楽しい」という喜びの感情をブロックしてしまうので、

幸運を幸運と気づかずにあるいは気づいていても掴めずに逃してしまうことになります。

 

ご自分の「恵まれていてごめんなさい」罪悪感に気づけたなら、

もうトンネルの先の光があなたには見えているはず。

 

恵まれていることを受け取れたなら、

それを合図にありえないほどの幸福が流れ込んできそうです。

 

 

 

●「私が一番」「私だけ」が欲しい私たち

 

「〇〇さんばかり贔屓されていいな!」。

そんな風に思ったことのない人はいないのではないかしら。

 

お父さんの一番のお気に入りの「娘」、お母さんの一番の騎士、おばあちゃんの溺愛する孫。

 

子供の頃私たちが一番欲しかったのは、そんな「最愛」のポジションだったのではないでしょうか。

 

それが「安心感」の源だったのかもしれません。

 

そして大人になっても、自分が「特別」であることの証明をどこかに見つけたくなってしまいます。

 

それは上司や先生のような「権威」ある人からの「お墨付き」だったり、
地位や役職、稼ぎや恋人の数などありとあらゆることに及びます。

 

それもいわゆる「いい」ことで競争して「特別」であろうとするだけではなくて、

「悪い」こと、例えば「病気」の大変さだったり不幸の大きさでも気づかないうちに競っていたりするものです。

 

病院の待合室などで、痛いところの数を競うかのような話が聞こえてくることがありますね。

 

よく広告でも「VIP待遇で」とか「特別価格」とか「特別なお客様限定の」

といった言葉が目にとまりますが、なんだかくすぐられてしまいます。

 

普段あまり目立つことが嫌いな方でも、

「限定10食!」と言われると「食べなきゃ!」と思ってしまったり。

 

お仕事でも「私だけにしかできない」ことを意気に感じると頑張れるものです。

 

かほどに私たちは、「私が一番」とか「私だけ」だと思いたい生き物のようです。

 

自覚があるか無いかはともかく、

私たちには多かれ少なかれ「特別に愛されたい」という気持ちがあります。

 

その他大勢では無い「私」でありたいという特別意識は「エゴ」の砦といってもいいもので、

この「私」を誰かに認めてもらいたいと願う気持ちには痛切なものがあります。

 

 

 

●「特別」でありたいのに「恵まれる」のが怖い私たち

 

こんなにも「特別」でありたいのに自分が「恵まれている」と認めるのは、

どこか居心地の悪いものがあります。

 
他人に「いいなぁ」と言われると、
つい「でも私だってこんなに大変なんだけれど」と言い訳したくなります。

 

運が良ければ「私だってこんなに努力している」と言いたくなりますし、

トントン拍子で成功すると自分がそれに相応しくないように感じて、

つい下手を打つようなことをしでかすなんてこともよくあります。

 

両親に愛されて経済的にもどちらかといえば恵まれていた人ほど、苦労性だったりもします。

 

「特別」に愛されたいと願いながら、

恵まれると今度は「ごめんなさい」と後ろめたくなるようなのです。

 

そんな「恵まれていてごめんなさい」という罪悪感は、

ありえないほどの幸福が人生に流れ込んでくる時に陥りがちな心理的な「罠」です。

 

本当は「嬉しい」「楽しい」と感じて大喜びしても良さそうなところで、

自分にストップをかけてしまいます。

 
「調子に乗ってはいけない」「ハシゴを外されるぞ」という怖れが出てくるのです。

 

この「罠」のベースには、

「あなた」か「私」かどちらかしか愛されない(成功できない)という思い込みがあります。

 

 

 

●みんなで幸せになりたい

 

自分だけが勝つ、勝ちっぱなしのゲームは面白くありません。

 

最初のうちこそ嬉しくても、次第に罪悪感の方が大きくなります。
 
誰か他の人にも成功して欲しくて応援したくなりますし、
自分が応援した誰かが成功すると自分のこと以上に嬉しく喜ばしく感じたりしませんか。

 

自分が「特別」でありたい気持ちとは裏腹に、

「みんなで幸せになりたい」という願いも私たちは持ち合わせています。

 

この「みんなで」という願いを大切にできると、

「あなた」か「私」かどちらかしかいいものを手に入れられないという思い込みに囚われずにすみます。

 

「私」が「あなた」を踏みつけるのではなく、「私」が「あなた」の犠牲になるのでもなく、

「一緒」に幸せになりたい。

 

本当はそれが一番欲しいものなのではありませんか。

 

なのにどこかで、「それは無理」と思い込んでしまったようです。

 

 

 

●他人の幸せを喜べるようになるともっと大きな幸せがやってくる

 

ありえないほどの想定外の幸せを受け取るということは、

自分が恵まれていることを「許す」ことでもあります。

 

そして自分が恵まれていることを手放しで「OK!」と思うのには、

他の人も恵まれていて「OK!」と思えるといいみたいです。

 

そう思えるようになる近道は、誰かを一生懸命に「応援する」ことです。

 

 
自分が応援した人の幸せは、たとえ自分が欲しいものをまだ手に入れられていなくても、嬉しいと感じられます。

 

多くの人を応援できると、応援できた分だけ自分も他人の応援を素直に受け取れるようになりますし、

誰かの幸せを喜べた分、自分もより大きな幸せを受け取れます。

 

あなたには、応援したくなるような人はいますか?

 

応援したいと思える人を探してみませんか?

 

そして「一緒に」幸せになりたいという願いを行動に移してみましょう。

 

きっともっと人生が楽しく感じられます。

 

 

(完)

 

 

 

 

 

ふむふむなるほどー。
楽しいお話し!
あー自分だけじゃないのねと思いました。
 
またありがたくお借りしてしまいました、話が分かりやすいので。
 
「限定10食!」と言われると「食べなきゃ!」と思ってしまったり。
↑これおもしろい🤣
 
こういうところもそうなのかと思いました。