こんばんは☺︎
READY TO KISSの牧野広実です





今日は皆さんにご報告しようと思って
このブログを書きました






いつ更新しようか迷いました

前から書こうとしていたのですが記事を書いているだけで辛くなってしまう状況がずっと続いていてなかなか更新出来ずでした






今日はわたしの誕生日です
誕生日の日でファンのみんなが12時になった瞬間にリプを送ってくれたりお祝いしてくれています



本当にありがとう( ; ; )♡
すっごい嬉しい。。






だから今日更新するのはダメかなぁって
正直思いました。


本当は誕生日よりも、生誕祭よりも前に更新するつもりだったけどブログを書くのに何週間もかかってしまって今日になってしまいました。









もう勘づいている方はいると思いますが、
先月の8月8日に母が間質性肺炎で亡くなりました。






大好きなお母さんがいなくなってしまって1ヶ月がたったよ



早かったような長かったような、、
不思議な気持ちのまま日々過ごしています。





まだ全然実感が湧きません





でもふとした瞬間に悲しくなって寂しくなって思い出して涙が止まらなくなります







先月7日の朝にお父さんから電話がきました。





その電話の内容は

"あと数日しかお母さんは生きられない、もしかしたら今日かもしれない"

ということでした





わたしは東京の家を飛び出して急いで愛知に帰りました。



今までにも危機はあったけど
わたしは今までで1番怖くなりました





状況が理解出来なくて頭の中が真っ白で会いに行くということに必死でした。



帰っている新幹線も電車も
不安で不安で人目を気にせず泣いていました







実は関ヶ原唄姫合戦の前夜祭の日に
わたしはメンバーより一足先に愛知へ帰って
お母さんの病院へ行っていました。





その時にお母さんの命は7月いっぱいが限界だということを父から知らされました。








関ヶ原の前夜祭が21日だったので
7月いっぱいとなるとあと10日、、、、



産んでくれて育ててくれて
20年間ずっと一緒に過ごしている人の命があと10日もない。。


本当に本当に信じられなくて
どうしたらいいか全くわからなかった




7月いっぱいということが頭にあったので覚悟はしていたつもりでしたがやっぱりいざとなったときは全く受け入れられませんでした。









病院に着くと親戚やお兄ちゃんお父さんが皆いてお母さんはホワイトボードに文字を書いてみんなと話していました。




文字が書ける体力がまだあったことに
少しだけ安心しました





でもいつもより全然元気がなくて笑顔がなくて辛そうで命が長くないことを実感してしまいました







”お母さんの前では笑顔でいよう”
心ではそう思うのにいつも泣いてばかりでした










7日の夜は親戚やお兄ちゃんは家に帰って
お父さんは病院の待合室
わたしはお母さんの病室で寝ました。






夜はずっとお母さんと一緒でした

いつぶりだったんだろう、
お母さんと一緒の部屋で寝たの。。





小さい頃はお母さんと毎日寝ていて
旅行に行った時に同じ部屋で寝たり
それくらいだったからなあ




きっと去年の3月に家族で行った九州旅行以来でした。




でもお母さんはその時とは全く容態が違うくて
一緒の部屋で寝ているのに不思議な感じがしたよ





お母さんなのにお母さんじゃないみたいだった






夜は不安で全く眠れませんでした


生体情報モニタやいろんな機械音がなる度に
怖かった。
今でもその音が頭から離れません






時間が進むにつれて朝に近づくにつれて
容態が悪化していくのがわかりました






怖くてたまらなかった



逝かないで。逝かないで。
死んじゃいやだよ、、


何度も思いました






でも苦しんでいて辛そうなお母さんを見て
わたしは何も出来なかった


何を言ってあげたらいいのかすら
わからなかったです






できる治療法も完全に無くなってしまって
モルヒネで麻痺させて苦しみをとってあげる方法しか残っていませんでした







とうとう文字も書けなくなってしまって
息をすることで精一杯の状態になりました





口を開けたり閉めたり
呼吸するだけで本当に辛そうで、、





あんなに苦しそうなの初めて見て
何が一番お母さんにとって幸せなことなのか
考えてもわたしにはわかりませんでした。。







わたしはずっと手を握ってあげることしか
できなくて本当に情けなかった







お母さんに生きてほしい。頑張って欲しい。
本当はその気持ちが強かったです






でも"頑張って"とはいえませんでした。






お母さんはずっと苦しい中頑張ってきた

毎日苦しみと戦いながら頑張って生きてきてもう十分頑張ったのではないか、そう思いました。






"もう楽にさせてあげたい
これ以上苦しまないでほしい"

"でもお別れしたくない生きてほしい"







この2つの気持ちがぶつかってしまって
何も言えませんでした。




何が正しかったんだろうねっ






お医者さんに今日の朝かもしれませんと
言われてからもずっと手を握り続けました




亡くなる2時間前くらいだったかな、、、






お母さんもきっと自分の命だから
わかっていたんだと思います






わたしがお母さんの手を握っていたら
突然わたしの目を見て声が出ない中







"ありがとう"
"頑張ってね"





そう言いました。
それが私に掛けてくれた最後の言葉でした
声は出ないけれど確かにそう言っていました、、




涙が止まらなかったです






”ありがとう”



その時、手を握ることしかしていなかったのに
この言葉を言われて

最後なのかな、、
と思いました






わたしはお母さんの手を握って耳元で

”お母さんの子供に産まれて良かった
産んでくれてありがとう。
これから頑張っていくからお母さんは何も心配しなくていいからね
お母さんが世界一大好きで自慢のお母さんだよ。”





伝えれることを伝えました。
そしたらお母さんは何も言わずに
ずっと頷いていました。






お母さんはいつでもわたしのことや家族のことをおもってくれていたんだなって思います

いつでも気にかけてくれていました。






気にかけてくれていたと思う出来事が
いくつかあります





それは、
8月4.5.6日にTIFが行われました。


わたしは前のグループにいた時から
TIFに出たいと思っていました


TIFへの出演が決まった時お母さんも
すごく喜んでくれたんです



そのTIFが終わった次の日に様態が悪化して、、


わたしのTIF出演まで待っていてくれたんじゃないかって思っています






お兄ちゃんはお母さんの命が危ないと分かった時、病院に向かっている最中でした。






もしかしたらお兄ちゃんは
お母さんの死を看取れないかもしれない。
そう思いました





でもお兄ちゃんは間に合いました。
お兄ちゃんが来たとき嬉しそうに微笑んでいました。


その1時間後くらいにわたしとお兄ちゃん、お父さんの手を握りながら亡くなりました。





お母さんのお姉ちゃん2人もその場にいることができました。





お母さんはお兄ちゃんを待っていてくれたんだと思います。




わたしの事もお兄ちゃんのことも
ずっとずっと待ってくれていたんだと思います。






本当に強い母でした。
どんだけ苦しくても"大丈夫"と周りに気を使って弱音を最後まではきませんでした。







だんだんと心拍数も弱まって
体内の酸素量も減ってしまって、、






お医者さんに
"最後の時間をご家族で過ごしてください"






そう言われた時、
"ああ、もう助からないんだ"
そう思いました





心拍数が少し下がってきたら
あっという間に下がってしまいました。







50を切った時もうだめだと思って


”お母さん。お母さん。死んじゃいやだ。
お母さんがいなくなったら何もできなくなっちゃう。逝かないで”





すごく叫びました。
お兄ちゃん、お父さんも叫んでいました。






お母さんがいなくなってしまうのが
姿が見られなくなってしまうのが
本当に嫌で悲しくてたまらなかった







でもお母さんは死んでしまいました。







生きてきた中で一番悲しくて
辛い出来事です。






本当にお母さんはよく頑張ってくれました





わたしのレディキスのデビューをお祝いするために嫌がっていた喉に穴をあける手術をしたことを
後から聞きました。







レディキス、ベビキスでのステージを
見せてあげたかった



病気が見つかった時から
もっともっとそばにいてあげれば良かった




わたしが作った料理を
食べさせてあげたかった





東京へお母さんが遊びにきて
ディズニー行ったりいろんなことを
これからしたかった




9月13日にリリースするCDを
渡したかった見せたかった




もっともっと素直になればよかった







後悔しないように生きてきたつもりだけど
後悔してもしきれません。
何もできなくてごめんねお母さん。






でもお母さんはわたしのレディキスでの活動を
一番に応援してくれていました



 


わたしがずっと泣いていたら
絶対怒ると思う




だからわたしはもっと強くなって
自分の夢をこれからも追い続けます





今日の自分の生誕祭
CDリリース
11月10日の赤坂BLITZでのワンマンライブ



絶対に大成功させたい





今ここで諦めるなんてできません。




自分のためにもお母さんのためにも
頑張りたい



レディキスのメンバー、ファンの方と一緒に上を目指したい






だからお母さん。
ずっと近くで見ていてね、そばにいてね。




きっとこれから嬉しい事もあれば
辛い事悲しい事も沢山あります




でもわたしは絶対あきらめない
諦めたくない







頑張れる体があるかぎり
わたしは頑張りたい





頑張れることも当たり前じゃないから。






全部お母さんに教えてもらいました。



そしてこれから素直な気持ちを
伝えようと思っています。




メンバーにもファンの方にも
家族にも友達にも感謝の気持ちはもちろん
思っていることを素直に伝えられたらいいなっ



失ってから気づくのでは
本当に遅いんです


失ってから後悔しても遅いです






なかなか恥ずかしかったり素直に慣れないこともあるけど素直になることの大切さを失ってからわたしは気づきました





失った時何かしら後悔は絶対するものだけど後悔しないように





前にブログでお母さんの病気を打ち明けた時
みんなからの優しい言葉にすごく救われました




ブログを読んでくれたり
twitterでリプ送ってくれたり
何気ないことがわたしの力になるよ


みんないつもありがとう。



これからもこんなわたしですが
宜しくお願いします。






推して後悔させないから。
そばにいてください




長くなっちゃったけれど
最後まで読んでくれて本当にありがとう。







牧野広実












お母さん。
届いてるかな?
わたし明日で21歳になるよ
お母さんに誕生日お祝いしてもらいたかったな。

産んでくれてありがとう。
育ててくれてありがとう。
好きなことを沢山やらせてくれて
いつも応援してくれてありがとう。


諦めないで頑張るからね。
もう苦しまなくていいからお母さんは天国で沢山笑ってね、好きなことしてね。


世界一自慢なお母さん。
大好きです。