インターネットのなかには、たくさんの嘘や非常識と役にたつすこしの正確なな情報とがある。
息子の学校(都立両国高校、附属中学校)の入学式で、後援会会長として、新中学1年生、新高校1年生両方に向けて送った祝日のなかでそう話したのは5年前か。
メディアリテラシーという言葉を覚えてください、メディアを、インターネットをどう捉えて、どう使うかを学び、考え、理解し、実践してください。
入学のお祝いに添えて、例示をしながら話したのでした。
式の後、先生方に随分とお褒め頂き、国語科のある先生は、これまでのPTA会長(両国中高にはPTAはなく後援会というのでしたが、過去に在職した他校も含めてということだったのでしょう)のお話しでは抜群にいちばん良かった、我々教員が(立場的に)話しにくいことを、(経験的に)説明できないことを伝えてくれました、ありがたいことです、と感想とお礼まで頂いたのでした。
あのときの中1は今は高3、高1は大学生3年になっていますね。どのような中高生活を送ったのかな。
Facebook、Instagramを運営するフェイスブックジャパン社が、佃中学校でデジタル教育の授業を開いたという記事。
(東京新聞 2023/09/28 夕刊)
素晴らしいことです、が、まだそこなのかとも思います、2点において。
ひとつは、
デジタル教育が行われたことが新聞記事になる、つまり、珍しいことであるという点。
もうひとつは、
「災害時に困っている人の役に立つようなSNSの投稿や考えてみよう」(記事より)、などという呑気で悠長で遠回しな教育をしているのか、という点。
この国でインターネットが使われ出して25年を超えています。当初からSNS的なものはあった。
そして、当時から、生徒や若い人はもちろん、大人たちも、インターネットの使い方、利用の仕方を誤ったり、SNSで誹謗中傷を浴びせあったりという問題はあったし、今もそれは続いています。
そうした問題が根絶することはないでしょう。
なぜなら、それがインターネットだからです。
新聞やテレビやラジオ、本や雑誌などの出版物などの「マスメディア」でしか、広く人に物事を伝えられなかった世界に忽然と現れた、誰もが広く情報発信ができる場、メディアがインターネットの一つの面で特徴だからです。
それにより、人の悪い面のでる使い方が為される。為されてしまう。
だからこそ、なるべく早いうちに、個人的には小学生のうちに、インターネットとはどういうものか、良い点も悪い点も知り、良い点を活用できるようになった方が良い。
というのが、20年以上前からの僕の持論です。
なので、自分の子供たちには小学生からiPhone、スマホを与えました。
入学式の祝辞でインターネットリテラシーの話しをしたのも、他の場でもチャンスがあれば、折りに触れて、若い人たち、子供たちに伝えるようにしてきました。
2023年のいま、SNSの使い方を学校で取り上げたことが記事になるようでは駄目です。
しかも、SNSの良い使い方はどんなかな、みたいなことだけを、外面だけよろしい教育をしているのは、とても残念なことです。
もっと現実的で実際的なことを教育の場で教えられるようにならないといけないでしょう。
教育に携わる方にはその努力をしていただきたい。
インターネットをビジネスの場とする者はそのための協力を惜しんではいけない。
そして、大人は、自分たち自身が、子供たちに教えられる程度にはリテラシーを身につけねばならない。
いまから、自分にできることはあるかな。
考えてみます、そして、やってみるつもりです。
なにしろ、起こしたばかりの、何の力もない自分の会社ですが、自由になんでもできますから。
そうそう、入学式の祝辞では、
インターネットのなかだけではなく、この学校で、リアルな場で、笑い、泣き、手を繋ぎ、腕を組み、友情を育んだください、
素晴らしい先生方や、素敵な先輩たち、そして今、皆さんの隣にいる新しい友だちとの出会いを大切にしてください、
と結んだのでした。
リアルの世界、たいせつ。。。
「監査役 野崎修平」というドラマを観ました、U-NEXTで。
織田裕二扮する下町の銀行支店長が、突然に監査役に抜擢され、監査役として真っ当な仕事をする、というテレビドラマ。
テレビ放映の際の視聴率がどれほどだったのかわかりませんが(そもそも視聴率というデータをあまり当てにはしてません、番組の面白さ、自分にとっての面白さを測る指標にはならないと思っているのと、多くの人が観ているから面白いとも、それを観たいとも思わないので)、さほど人気はなかったのでは。
良いドラマですよ。
監査役とはなにか? を理解するには、とても。
監査役は、取締役同様に、株主に選任されます。
その仕事は、わかりやすく言えば、経営、運営の見張り番。経営陣が法に則りきちんとした経営をしているか、会社がきちんと運営されているかを「監査」することです。
ドラマでは、
監査役は社長や役員に雇われているのではない、
監査役は社長や役員の指示に従い仕事するものではない、
といったセリフを監査役役(監査役の役柄ですね)の織田裕二が何回も繰り返します。
このドラマを観ていた会社員諸氏は、それを理解したのかね?
わかっているけど、わかっていなかったのでは?
それはなぜか?
現実の、リアルの、多くの会社ではそうなっていないからです。
ほとんどの会社で、いまだに、監査役は
取締役のあとのあがりポジション、
取締役になれないひとのポジション、
功労のあったひとがなる役職、
外部から名の知れた人を呼んで就かせておく役職
って感じなのが実情ですよね。
それどころか、
社長の言いなりのイエスマン、
名前だけで何もしない人、
年に一回印鑑を押すだけの役、
という会社も少なくない。
僕がこれまで関与した会社でも、永年勤続の社長の手下を就かせていたり、取締役として現場で仕事するには年老いた人がなっていたり、社外から社長のお友達を連れてきていたり、、、とかありましたね。
全く機能してないです、そういう監査役の人たちは。
会社の、経営者の間違いを正す、過ちを糾す、そういう監査役にであったことありますか?
あなたの会社の監査役はどうですか?
監査役には、まさにこのドラマのように、社内からすごく変わり者を抜擢するか、社外から経営を監視、指導できは人材を招聘すべきです。
すごく変わり者とは、正義感が強く、法律や業界ルールに詳しく、規則やルールを徹底でき人にもそれを強制する、誰にでも社長にでもしっかり言うべきことを言えて、誰に反対反発されても正規と正義を追求する、そういう人物です。
ドラマじゃあるまいし、なかなかいませんよね。
社内に変わり者がいないのならば、経営経験や実績があり、法律や社会常識を知り理解し、トレンドを汲み取り、コミュニケーション力があり、社長はじめ経営陣にものをいえる人を外部からでも呼んで就かせるべきです。
大企業だけの話ではありません。
スタートアップや株式公開を目指すような企業はもちろん、中小企業でも、これからますます会社の在り方、コンプライアンスを求められる時代には、しっかりした監査、それができる人材がいることが、ときに、会社の命運を分けるでしょう。
ちなみに、僕、中堅から小さめな会社の監査役を引き受けます。
当社、STEM Consultants のメンバーで引き受け、就任もできます。
宣伝でした。
笑笑。
自転車仲間のひとりが若年性アルツハイマーになり仕事を辞めたと聞いていましたが、アルツハイマーの取り組みで頑張っているとのこと。朝日新聞より。
誰もが参画参加できる社会でありたいですね。
きしだ、初めて訪れたのは今の店主とだ。
どういうこと?
今のきしだの店主は2代目。
オールバックの髪型で一見少し怖そうだけど、栃木訛りが少しだけあり(茨城だったかも)、話すと優しい、だけどお店の仕切りはビシッとしていてお気に召さない酔客は帰しちゃうし二度と入れない、22時きっかりに閉店する、そういう先代の店主がいて。
先代が引退するにあたり、今の店主が引き継いだ。
今の店主は、他の店を同じ町屋でやっていた頃に僕は知り合い、歳はゆうにひとまわり以上も離れているのだけれども(もちろん僕が上だ)、もうけっこう長年、いってみれば飲み友達。
先代の時代に、今の店主に連れていってもらった、それが、この、きしだ。
コロナ禍の始まりの頃に、先代は店を閉じて、いまの店主に継がせた。
厳しいタイミングで店を継いで、彼らしいなぁと思ったが、いかんせんコロナ禍真っ只中だったので、なかなか顔も出せず。申し訳なかった。
先代の頃の常連の多くは離れたのかな。
それでも、代替わりしても、きている客もいる。
どっちでも、どうでも良いと僕は思う、今の店主もきっとそう思っている。
そこに来たいと思う者が客で、そこには行きたくない者は客ではない。ただそれだけのこと。
昨日まで来ていた者に合わせて店をやる必要はない。
今日自分がやりたいように、明日そういう店にしたいと思うならそのように、店主が好きにやればよい。それが気に入り、そこが心地よいと思う者が客になる。
商売とはそういうもので、そうあるべきだ。
自分のやりたいようにやって、客がいなくなれば、客が来なければ、自己責任。
客に迎合しても続きはしない。もしそれで続いてもそんなの面白くも楽しくもない。
僕はそう思う派で、今の店主もその派だろう。そのへんが気が合い飲み友達なんだろうな。
正直、かなり客観的に判断しても、やきとりは先代より美味くなった。
きしだは変わった、あの店は〇〇だったのに、昔は良かった、、、そういう人もいるらしい。
来なければ良いだけだ。町屋に限っても、飲み屋はいくらでもあり、焼き鳥屋ももつ焼き屋もある。そちらにいけばよろしい。
古めかしくて狭いカウンターで、焼酎でおまかせ焼き鳥を楽しみ、店主自家製のピクルスをつまみ、他店にはなかなかないウイスキーを一、二杯飲み(キルホーマンというのが美味い)、店主手づくりのカレーで仕上げる。
こんな店は、町屋には他にないし、都区内でもそうはなかろう。
鳥新の大将との出会いは、町屋の焼き鳥屋「きしだ」。
深夜に自分のお店を閉めてからきしだに来ていた大将「よし君」。最初はお店をやられてる人とは知らずに話して。途中でわかり、それでは今度伺います、と来訪。
駒込で焼き鳥屋「ます田」を営んでいた叔父貴がコロナ感染で亡くなり(どのみち、コロナ感染で入院した2日後には店をもう閉める予定ではあった)、「行きつけのお気に入りの焼き鳥屋」がなくなっていた頃のこと。2年ほど前だ。
初めて訪れて、1発でお気に入りになった。
美味しかったからね。
叔父貴の店の焼き鳥に慣れていて、なかなか納得のいく、満足のできる焼き鳥に出会えなかったなかで、これはいいな!って。
それから、ときどき、訪れている。
町屋の飲み仲間と、ひとりでふらりと、遠方(といっても都内だけど、荒川区にくるのは遠い感があるからね、みんな)から友達や仲間が来るときに。
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この、油壺(あぶらつぼ)という部位は、鳥新ではじめて食べた。
鶏の尻尾の方のぼんじりという部分、そのぼんじりの中に羽を水から守るために脂を分泌する器官があり、それがあぶらつぼ。
捨てられていたこともあるというが、あまり量の取れない希少部位で、脂分がたっぷりで美味い。
バクダンと名付けられたつくねは独特で特徴的。
写真は、ミニバクダン、ミニつくねで、バクダンはもっとずっと大きい。ひとりでは食べきれないほどに。
殆どが地元荒川区内、というかご近所からふらりと呑みにくる常連さんだが、2階には広い座敷もあり、団体でも、予約宴会もできる。
こうした町の、手づくり居酒屋で、宴会ができる店は少なかろう。
よし君は、仕込みが命、仕込みをしているときが楽しい、という。
素材にこだわり、毎日、千住市場に通い(バイクで我がマンションの前を通るで、こちらが犬の散歩中にときどき会うと、おはよー!と大声で通り過ぎていく)、自らの手でこさえたものを出す。
美味い店の条件はそれだよなと思う。
焼きおにぎりを頼んでも、そうすぐには出てこない。
丁寧に拵えられた焼きおにぎりを仕上げに、今夜もありがとう、ご馳走様と辞すのだ。