Akiのブログ

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 私は精神分析の概念に触れたことで関心を持ち、精神分析に触れたいと思い学習をしてきた。しかし今私は精神分析に触れることに頓挫している。

 私の人生を少し振り返ろう。私は高校生の時に『ユング心理学入門』などを読み、精神分析的概念こそが心理学だと勘違いしていた。その心理学を学ぶために大学では心理学科に入った。高校生の時に親からも先生からも、精神科医でなければ薬も出せないし、給料も低いと聞いていた。しかし当時の私には金銭感覚というものが欠如しており、当時思い描いていた生活に必要な給料を30代で貰いたいし、貰えるだろうと思っていた。薬については、本質的な解決にならないと思っていたし、必要な場合は精神科に行けば良いと思っていた。3割負担という保険制度という概念も欠如していた。しかし臨床心理士資格を取得してまだ日にちの浅い私に分かったことは、精神分析を実践することは開業しない限り難しいし、精神分析的心理療法でさえ、面接室のある職場や時間の融通、therapist が面接室に留まることなどへの周囲の理解がないことが殆どであり、思い描いていたような精神分析に触れることが困難だということだった。そのため、精神分析の訓練自体が進みにくく、開業することへも繋がらない。無論、できる限りの個人分析は受けているが。

 いわゆる臨床心理士として勤務できる職場は多くある。しかしながら、臨床心理士は精神分析的therapist ではない。臨床心理士として雇用されたところで、精神分析や精神分析的心理療法を実施することは困難と感じられる。また、精神分析は臨床心理学の全体の中の極僅かな領域だと知ったのも、こどもの発達の問題に取り組む人たちが多くいる職場に在籍した頃にわかった事実だった。

 きっと、後数年待てば大学のカウンセラーや精神分析や精神分析的心理療法専門のオフィスでの仕事も持てるのだろう。しかし、なぜそんなに待たなければいけないのか私には分からない。なぜ、精神分析はそれ自体としてすぐに研鑽を積むことが困難なのだろう。この頃私にはまるで精神分析とは芸術家のようなものと労働環境上の共通点があるのではないかと感じられている。漫画家だって簡単になれるものではない。精神分析家だって簡単になれるものではない。

 ここまでを読んでいただいて感じられたかもしれないが、私はとにかく現実をよく理解して来ずにここまで来ている。最近思い出したことだが、大学院入学試験の面接で私が精神分析的アプローチに関心があると答えると、面接官から精神分析はどこでやっているか知っているかと聞かれたことがある。その時は精神科だと思うと意図がよく分からずに答えた。しかしその質問の意図は、精神分析をできる場所など殆どないということだったのかもしれないと今は思う。精神分析や精神分析的心理療法をそのものとして実施できる場所など特に若いうちは殆どない。むしろ、若いうちの仕事は、精神分析や精神分析的心理療法をできる環境を整えていくことだと思う。すなわち、職場環境の中で上手く他者と交流して心理療法を理解をしてもらうことが、仕事だと思う。「耕しの作業」と言われている(引用せず勝手に言葉を使って良かっただろうか、、、)。私にはそうした開発の仕事は不得意であり、誰かにアウトソーシングしたいところである。いや、経験の浅い者がそうした理解を周囲から得ること自体が困難だと経験のない私には思えてしまう。職場の同僚や先輩に精神分析的心理療法をする人がいればどれほどありがたいことだろうと思う。

 思う仕事ができるまでに後数年かかる。この数年をあくまで仕事の研鑽のために使いたい。しかし、それは困難だと私には思われている。私は元々専門職に関心があったので、この数年がとても苦しい。別の専門職を目指すべきなのかと思ってしまう。本当に瀬戸際にいる。

 よく言われる、臨床心理士は勧められる職業ではないという意味が私には長らく分からなかったが、おそらく今私が直面している問題のために、勧められるものではないと言われるのだと思う。

 精神分析の世界は美しいと思う。もちろん苦しいものでもある。そうしたこころの世界に魅かれている私だが、それは現代日本社会ではなかなか手が届かないものなのかと思う。昨今取りざたされる精神医学と臨床心理学のやりとりを考慮しても、日本では、精神分析は、難しいのだろう。