震災と津波から2カ月近く経った牡鹿半島の先週の状況を少しでも知っていただけたら、そして、これからボランティアに行こう!と考えておられる方に少しでも参考にしていただけたら、ありがたいです。
今までのレポートはこちら。
2011.5.14 #290 簡易ベッド。~GW牡鹿半島ボランティアレポート⑧
2011.5.13 #289 悪臭に参ったドロ出し。~GW牡鹿半島ボランティアレポート⑦
2011.5.13 #288 関係Map作りました。~GW牡鹿半島ボランティアレポート⑥
2011.5.12 #287 旧牡鹿町公民館。~GW牡鹿半島ボランティアレポート⑤
2011.5.12 #286 ガレキとドロ出し。~GW牡鹿半島ボランティアレポート④
2011.5.11 #285 準備。~GW牡鹿半島ボランティアレポート③
2011.5.10 #284 きつかった畳運び。~GW牡鹿半島ボランティアレポート②
2011.5.9 #283 GW牡鹿半島ボランティアレポート①
実質2日半しかいなかったのに、シツコイ性格が災いしてこのボラレポも9回目になってしまった^^;
とりあえずボランティアについてのレポートblogはこの回で最終回。
でも見聞きしたことで書いておきたいネタがあと2つくらいあるので、もちっとこの2日半のことを書き続けると思う。
牡鹿半島に滞在していたのは、たったの2日半だったけど、それでも何人かの方に出逢うことができた。
普通の旅とは違って、一つの目標の下に集まったヒトたちとはすぐに親しくなることができる。
ダイビングの時も同じようなことを感じたけど、これはとってもうれしいこと。
まずは、石巻市をベースに活動を続けておられるNPO法人 MAKE THE HEAVENが立ち上げた、被災者への救援活動、被災地の復興活動をサポートするためのチーム「め組JAPAN」のメンバーの二人の女性。
今回のボランティアは、何回か書いているとおり、ジブンが参加している海の環境NPO"OWS"の事務局から誘われたのがきっかけ。
理事のひとりである田中サン(通称ケロサン)が、震災後まもなく石巻市に入り、ずっと活動しておられた。
我々が牡鹿半島でスムーズに作業をさせていただいたのも、活動的な彼女のおかげ。
もうひとりが東京から来た女性のるいるいサン(本名は聞きそびれました)。
いつもまわりを明るくしてくれる彼女は、必死に被災地の復興のことを考えておられるステキなヒト。
イロイロなアイディア出しをして、「め組JAPAN」や行政に提案されておられた。

右の"Pray for Japan"の青いジャージを着ているのがケロサン。
左がるいるいサン。
彼女の個性的な装いは、タクサンいるボランティアの中で、すぐに名前を覚えてもらうためにはとっても有効。
ケロサンが連絡しておいてくれたのが旧牡鹿町のボランティア・リーダー、遠藤サン。
彼も震災後10目くらいにこの地に入り、そこから常駐の形されている。
今では行政や自衛隊との会議にも出席し、情報の共有化やシゴトの割り振りに存在感イッパイのヒト。
彼も、1回会ったらみんな彼のことはすぐに覚えてしまうだろう。
長身にがっしりした体つき、ドレッドヘアーにクルマはなぜか黒いセンチュリー。
なにより、バツグンのコミュニケーション能力とその行動力、判断力はすばらしい。
ハナシをお聞きしてみると、なんと彼もダイビングのインストラクター。
神津島におられたとか。
そもそもOWSに入ったのも、ダイバーになって自然に興味を持ったから。
AEDやCPR(心臓マッサージね)の講習会とか受けたのも、ダイバーとして必要スキルだと思ったから。
そうして、今縁もゆかりもなかった宮城県の牡鹿半島に立っている。
そこで出会ったボランティア・リーダーもダイバーとは。
ここでもスキューバ・ダイビングに導かれている。 ←錯覚?

この写真は遠藤サンが所属するPikari Projectのサイトからお借りしました。
左のヒトが遠藤サン。右の二人はケロサンとるいるいサン。
避難所におられる地元の方々や、我々ボランティアに対して、あるアイディアを相談しているところ。
ジブンもこのアイディアにはとっても癒されちゃいました。
このハナシについてはまた次回。