すぐに作業用の服に着替えて、ボランティア・リーダー、遠藤サンの指示を受ける。
遠藤サンはとてもインパクトのあるヒト。
彼についてはまた。
今日の作業は、廃業した町営国民宿舎から、避難所に畳を運ぶ。

国民宿舎「コバルト荘」なんて、いくら女川原発が近いからって、シャレにならない名前だなと思ったけど、実はコバルト色の青い海から取ったらしい。
「あ、やっぱりね。」
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ニューさか井のちょっと西側(左側ね)に見える建物がコバルト荘。
海に近く、とっても景色がきれいなとこ。
震災前のコバルト荘の様子をまとめたblogがあった。
2011.1.21 あをべにブログ 「海紺色見晴台 国民宿舎コバルト荘」
でも建設費用は、原発交付金から出ている。

白いプレートに「電源立地促進対策交付金施設」の文字が読める。
高台にあるこの建物は津波の影響は無かったが、地震でいたるところキズだらけ。
上の写真は入口部分だが、ひびが入っている。

階段にもヒビが。
リーダーの遠藤サンからは、
「かなり傷んでいるので、余震の時はすぐに建物の外に出てください。」
と注意が。
ラッキーにも滞在中、気が付いた余震は震度3が1回だけ。
でもその震源地は「宮城県石巻市」。
ここ牡鹿半島は3.11の震源からもっとも近い。
震源の上にいると思うとちょっと不気味だったけど、ここでずっと生活しておられる地元の方々の心細さを考えると胸が痛む。
コバルト荘は、支援物資の集積所として使われている。

写真真ん中のビニール袋はゴミではない。衣類だ。
全国から送られた善意のかたまり。
でも古着だし、手がつけられていない。
このままじゃ、サイズやアイテムごとに整理されていないから、当然地元の方々にお渡しすることができない。
ボランティアがもっといれば整理もできるのだろうけど、古着はどうしても何らかの臭いがするとのこと。
これじゃ善意にはならないのでは。
たとえば、Crocsみたいに、メーカーが送ってくれるのならば、まだ整理された状態で届く。

きっと夏がくればみんなにプレゼントされるようになるのだろう。
支援物資はこれだけではない。体育館の中にもどっさりあった。
といって、物資がふんだんにあるということでもない。
やっぱり地元のニーズとマッチングしないということ。
現に、5/10現在でも、石巻の保育所や幼稚園のお昼ごはん支援要請があるくらい。
2011.5.10 フェアトレード東北のブログ 「【RT希望】 5/6 石巻 保育所・幼稚園お昼ご飯事情」
マッチングしなければ、誰も使ってくれないし、今にただのゴミとなってしまうかもしれない。
そりゃもったいないけど。
ここを集積所として使うにも苦労があったことを遠藤サンが所属する団体のblogで知った。
2011.4.27 被災地に向けての取り組み 「【瓦礫撤去・活動状況】4月27日 宮城県石巻市牡鹿町」
2Fの客室からはすでに運び出されていて、我々は3F客室から玄関まで畳を運ぶ。

これが想像以上に重い。
調べてみたら、だいたい1枚当たり25kgから35kgとか。
2010.2.15 大工さんが木造住宅作ってるよ。 「畳替え 畳の重さ」
さすがに階段(エレベータはあるがもちろん動いてない)は二人で運ぶが、部屋から階段の近くまでは一人で運ぶ。
重い。
5mくらい運んで、すぐに一度床に置いて、体勢を(呼吸も)立て直して運ぶ。
息が切れる。
背中にしょって運ぶのだが、上腕部が張ってくるのがわかる。
それに握力が無くなってくる。
社会人1年目の男の子たちと一緒に作業していたのだが、さすがに彼らは黙々と運んでいる(ように見えた)。
情けないが仕方がない。なにしろこちらはアラフィフなのだから。
ヘドロ運びもしんどかったけど、みんなこの畳運びがきつかったと言っていた。
何枚運んだかわからないけど、なんとか4時間ほど(休憩込み)で玄関まで出すことができた。
その後は地元の方から貸していただいた軽トラックで12枚くらいづつ運ぶ。
コバルト荘から公民館まではだいたい20分ほど。
道路の状況はひどい。
ひび割れ、路肩崩落、沈下と、道路のトラブルオンパレード状態。
でも最終日に尾根沿いを通るコバルトラインを走った時はもっとひどかった。
結局、避難所のニーズが変わったらしく、畳はいったん公民館に敷くことに。
ボランティアの宿泊用になった。
「あれっ?」
と思ったけど、結果的にとってもありがたかった。
出発前は、避難所に指定されている寺の隅に寝させていただく予定だったので、それに比べればこれはもう極楽状態。
前日は夜どおしクルマ移動だったので、22時には就寝。
慣れない寝袋だったので、寝付きは悪かった(繊細なので^^;)。
2日目のシゴトはまた明日。
<今日の写真>
石巻市(旧牡鹿町)の牡鹿総合支所で待機している自衛隊車両です。

自衛隊の存在が地元の方々に与えている安心感は大きいと思いました。
クルマの下に走るひび割れは、いたるところにみることができます。



いかつい車両の中のペットボトルになにか「ほっとする」カンジがしました。
「第5旅団第4普通科連隊」は帯広にある部隊だそうです。
毎日重労働に従事されている自衛隊には、ホント頭が下がります。
第5旅団の活動状況報告のサイトもぜひ。
2011.4.15 東日本大震災災害派遣 第5旅団の活動