しかし...残念です。

木村拓也サンは実は記憶も記録もナカナカな選手でした。
県内屈指の進学校、宮崎南高ではキャッチャーとして甲子園に2度出場。
3年春には5打席連続3塁打(!)を記録。
高校3年間で通算30ホームラン。
ファイターズにはドラフト外で入団したが、すぐに定員オーバーで引退扱いにされてしまうほど注目されない選手だった。
どこでも守ることが評価されて、アテネオリンピック銅メダリスト。ただし前年にあげた打率.285、13本塁打の打撃実績があったことは言うまでもない。
アテネではブルペンキャッチャーとしてもチームに貢献。
2007年、外野手登録でありながらセカンドとして守備率は前年のレギュラー仁志敏久よりも高かった。
2009年現役最後のバッターボックスで、通算4,000打数に到達。
通算4,000打数は生涯通算打率が記録され、一流選手の証明と言われる。
通算打率.261。
SMAPの「キムタク」こと木村拓哉と同じ1972年生まれ。
彼と対談した日、ホームランを約束してそのとおりにその日現役19年間で53本しか打っていないホームランを打った。
でも彼の真実はこの言葉に集約されているのかもと思いました。
ユーティリティプレイヤーになっていく過程は、ドラフト外でのプロ入りから始まり、「チームで空いてるポジションを探して、そこに入ろうとした」結果である。
ドラフト外のプロ入りについて「今で言う育成選手ですよ」というコメントをしており、「後に続く人たち(育成選手を含む若手)の目標になりたい」と語っている。
ご冥福をお祈りします。
追、GIANTSのサイトに、彼の活躍をまとめたページができていました。
木村拓也コーチの足跡2006~10