#177 キムタクコーチ亡くなる...。 | ダイビング&バイシクル!
クモ膜下出血と聞いたとき、こういったことはなかば予想していました。



しかし...残念です。





$ダイビング&バイシクル!-kimutaku










木村拓也サンは実は記憶も記録もナカナカな選手でした。


県内屈指の進学校、宮崎南高ではキャッチャーとして甲子園に2度出場。

3年春には5打席連続3塁打(!)を記録。

高校3年間で通算30ホームラン。



ファイターズにはドラフト外で入団したが、すぐに定員オーバーで引退扱いにされてしまうほど注目されない選手だった。



どこでも守ることが評価されて、アテネオリンピック銅メダリスト。ただし前年にあげた打率.285、13本塁打の打撃実績があったことは言うまでもない。

アテネではブルペンキャッチャーとしてもチームに貢献。






2007年、外野手登録でありながらセカンドとして守備率は前年のレギュラー仁志敏久よりも高かった。



2009年現役最後のバッターボックスで、通算4,000打数に到達。

通算4,000打数は生涯通算打率が記録され、一流選手の証明と言われる。

通算打率.261。




SMAPの「キムタク」こと木村拓哉と同じ1972年生まれ。


彼と対談した日、ホームランを約束してそのとおりにその日現役19年間で53本しか打っていないホームランを打った。




でも彼の真実はこの言葉に集約されているのかもと思いました。

ユーティリティプレイヤーになっていく過程は、ドラフト外でのプロ入りから始まり、「チームで空いてるポジションを探して、そこに入ろうとした」結果である。

ドラフト外のプロ入りについて「今で言う育成選手ですよ」というコメントをしており、「後に続く人たち(育成選手を含む若手)の目標になりたい」と語っている。








ご冥福をお祈りします。




追、GIANTSのサイトに、彼の活躍をまとめたページができていました。


木村拓也コーチの足跡2006~10