パリのワーママフレキです。
今日もこのブログをご訪問くださりありがとうございます
タイトルに
「死ぬほどなんて」
って書いてしまいましたが。
フランスに来てから20年間ずっと義実家でお祝いしていたクリスマス。
去年の今頃夫から、
「一緒に来て欲しくない」
と夫に言われました。
悲しかったのはもちろん、
「コロナで家族でも会えない私をにクリスマスを一人で過ごせって言うのか
離婚するから義実家とは関わるなとでも言いたいの」
という怒りも湧いてきたました。
私の中で
クリスマスを一人で過ごす=孤独で可哀そうな人
みたいな恐れがものすご~く大きかったようです。
外国人の私は可哀そうで弱い存在=労わられて当然
という刷り込みもかなりありましたね
その前の年も同じように言われたんです。
でもその時は、
「会う機会が少なくなった義家族と一緒に御祝いすることができる貴重な機会。
一緒に過ごしたい。」
と伝えたら私だけ日程短縮で参加させてもらえたんです。
でも去年は何故かそれ以上お願いする気持ちにならなかったんですよね。
代わりに友達のところに遊びに行くこともせず、
「今年は一人クリスマスの孤独に向き合うことが必要なのかも」
と思ったんです。
結局クリスマスイヴは近所デパートに出かけ、可愛いケーキを3つも買ってそれなりに楽しく過ごせました。
でもその数日前あたりに悲しみのピークが
雄たけびを上げて泣き叫ぶほどの悲しみに襲われたんです
「もうこんなつらい気持ちは感じたくない」
と泣き叫んでました、私。
不思議と具体的にどんな感情だったのかはもう覚えていないのですが。
この恐れの気持ち。
クリスマスを家族でお祝いできる幸せを感じたいというよりも、
「惨めなのは嫌」
「孤独に見えるのが恥ずかしい」
「人と違う自分は人並以下」
→だからクリスマスは誰かと過ごしたい
みたいな他人軸で愛とは無関係な気持ちが大きいなと感じます。
自分でもこれってどうなのって思うのですが
今もそういう気持ちが残っているなと感じます。
「人と同じことをしていない私は駄目」
「寂しい人なんて思われたくなく」
という気持ち。
離婚への恐れにもこの気持ちが入り混じっているような気がしてます。
「あの時の悲しみに比べたら、離婚関連の出来事で都度感じてる悲しみなんて可愛いもの」
と言える位の強烈な反応でした。
我なながら不思議です。
でもあの時泣きまくった後の自分。
なんか気分が軽くなってたんです。
一山超えて、生まれ変わったみたいな感覚
あれ以来自分の感じ方が微妙に変わったと感じています。
それ位大きな出来事でした。
一見不幸と思える出来事であっても、起こっている事全てに意味があるんだな
と改めて実感した出来事でした。
去年買ったクリスマスケーキ
フレキ@パリの別居妻のmy Pick