1958年、私が小学校5年の時
学校の先生が毎日のニュースを授業中に説明し始めた、毎日毎日だ。
中共軍が大陸から2キロ離れた金門島に砲撃を開始した1958年8月23日は5万発を撃ち込まれて突然の事で死傷者が多数出たと云う。誰が見ても戦争が始まったのだ

1958年といえば 敗戦後13年しか経過しておらず、この5年前に朝鮮戦争は名ばかりの休戦をしたばかり、壱岐、対馬の上空は米軍戦闘機が板付基地から朝鮮半島を目指して飛び交っていた。
学校の先生方は軍隊経験者もいた、私の先生は満州帰りでソ満国境にいた頃の話しをよくしていた、川を挟んでマイクで呼び掛け合戦が有り、ソ連側から ○○さんの腹痛は良くなりましたか?スパイの報告で何でも分かっています‼️等と やりあっていたと 授業中に話すのを 勉強より面白いので一言も聞き漏らすまいと集中していた

この金門島砲撃では1958年から1979年の米中国交樹立迄21年間に わたって47万発の砲弾が金門島に撃ち込まれた
非常に硬質な鋼の砲弾の欠片や不発弾を再利用して包丁等を製造する様になり、「金門包丁」として今や金門島を代表する名産品に成っていると云う

台湾から遠く離れた金門島が台湾領なのかについては後日!