私を母ちゃんにしてくれてありがとう | まきみち奮闘記

まきみち奮闘記

初老おばさんの独り言です。
40代半ばから絵を習い、50手前に「プロになる」と覚悟を決めてパートしながら毎日絵を描く生活が始まる。50代半ばに初めて挿絵、装画の仕事を経験。
連れ合いとはちわれ猫との三人暮らし

我が家の一人娘

9月から彼氏との暮らしを始めます。

二人ともお金が無いようで、式とか披露宴とかするかどうか、わからんのだそうで。

なんか、実感ないけどね。



親として、何がしてやれたんやろうとか思ってね。

確かに、オシメもかえたし

お乳も飲ませたけどね。

結婚して7年目、「子どもはあきらめて、2人で生きて行きましょうね」と覚悟を決めた直後に娘を授かった。

切迫流産で入院して、入院中に下血

「一応覚悟して下さい」

と言われたが、奇跡的に生きててくれた。

その報告したら

おっさん号泣

後にも先にも

おっさんが号泣するのを見たのはその時だけ。

授かったものの、どう育ててええものかサッパリわからんかった。


娘が小さい時は、私も楽しめることでしか遊んでやらへんかったな。

おままごとは嫌いやったし、やらへんかった。

絵の具遊びとか粘土とか、泥んこ遊びとか

遊んでやるというよりは

私が楽しんでた💦

取り敢えず、子ども中心というよりは自分中心の子育てやったなぁ💦

娘を傷つける言動も多かったようで

大学浪人した1年間で娘とよく話をしたけど

「子どもの頃、母ちゃんのこんな言動に傷ついた」

という告白も多かった💦


オギャーと子どもが生まれた瞬間

親も親として生まれたわけで

ゼロから始めるわけで

長い年月を経て

親も親として育ててもらうんやんね。


未熟過ぎる親で申し訳なかったけど

1人の男性が

一生一緒に暮らしたいと思う人に育ってくれたんやなぁ、、、

って思うと、嬉しい。

やり直したいなぁって思うことはいっぱいやけど

いや、やり直したいことばっかりやけど


結婚おめでとう。



月末、最後の二日間は我が家で過ごしてくれるそうです。

中学2年から山村留学へ行き

高校時代は父親と別居し

大学は島根へ行き

就職後は私の実家でおばばと暮らし

家族3人で暮らすことが無かったけど

最後の二日間は

ゆっくり3人で過ごして

新しい生活に送り出してやろうと思います。

パパと母ちゃんを

パパと母ちゃんにしてくれて

ありがとう😊