こんにちは。メルです。
最近は感情が安定しており、激しい波が無くなりました。
それもお釈迦様の教えを実践しているからです。
『反応しない練習』
こちらは是非読んでいただきたい本のひとつです。
他人への怒りなどの不快な感情は、
すべて自分の "心の反応" であると書かれています。
そして人は 判断しすぎ なんだそうです。
確かに。思い当たることしかありません(汗)
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人が悩んでしまう理由の一つは、「判断しすぎる心」にあります。 「判断」とは、この仕事に意味があるとかないとか、人生は生きている値打ちがあるとかないとか、彼と自分を比較すれば、どちらが優れている、劣っているといった「決めつけ」「思い込み」のことです。 「どうせ自分なんて」という自虐も判断。「失敗した」「最悪」「ついてない」という失望や落胆も判断。「うまくいかないのでは?」という不安や尻込みも、「あの人はキライ、苦手」といった人物評も、判断です。
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上記の一節だけでも、邪気発生源や気をつけるべきものが入りまくりですね。
どちらが優れている、劣っているの 二元論。
決めつけや 思い込み
"どうせ自分なんて" という自己卑下、自虐思考。
なぜ人はこんなにも 判断してしまうのでしょう。
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一つは、判断すること自体が「気持ちよい」ことが理由でしょう。良し悪しや、正しい・間違っているといった判断は、それだけで「わかった気」になれます。結論が出せた気がして、安心できるのです(ひょっとすると、これは野生時代の「ここにエサがある」「ここには敵が多い」といった状況判断の名残、いわば本能なのかもしれません)。 もう一つの理由は、「判断することで認められた気分になれる」ことでしょう。たとえば誰かとケンカした後に、「あの人はここが間違っている」「彼があんなことをしたから、こうなったのだ」と振り返ることがありますね。友だちに電話して事情を説明し、「それはおかしいよね、あなたは間違っていない」と、第三者の〝お墨つき〟を得ようとすることもあります。あれは「やっぱりわたしが正しいのだ」と思いたいがための行動です。「承認欲を満たせる判断」を求めているのです。 ということは、判断する心には、わかった気になれる気持ちよさと、自分は正しいと思える(承認欲を満たせる)快楽があるのです。 だからみんな、判断することに夢中です。
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わかった気になれる気持ち良さ。
そして、承認欲を満たせる判断を求めていたのですね。
ここにも強烈な邪気発生源である承認欲が。
うんうんと頷きながら読みました。
この本を読んでから、
嫌な気持ちになったときなどに
『あ、いま判断した』
と思うようにしています。
しつこいようですが、まずは 気づき から。
そしてそんな自分のすべてを受け入れて(自己受容)しまいましょう。
自己受容を広めるため、こちらの本を20冊購入し必要な方に無料でお配りしました。
あるお客様から、嬉しい感想をいただきました^^
最後まで読んでいただきありがとうございました。
メル