「慈しみ」という天命があります。
私はこの天命の人たちにいつも助けられています(笑)
この天命の人は「可哀想」という気持ちで動くことができます。
この天命を持たず、現実的に生きる人にとって、慈しみの天命の人の行動は理解ができず、そんなことする必要はない!と、その行動を止めたくなることがあります。
けれど天命は、それをすると必ずエネルギーが循環するようになっています。
そばで見る人にとって、また時には本人も「これをしてもなんのメリットもない」と思う状況でも、慈しみの天命の人が「可哀想だ、放っておけない」という感覚で動けば、その行動のエネルギーは必ず戻ります。
この天命を持たない人が可哀想という気持ちだけで動くと逸れます。
「いいとか悪いとか」で判断されて、エネルギーが発動されるわけではない。
それが天命の仕組みです。
いい悪いの価値基準を捨てないと、この仕組みが理解できません。
してあげる喜びもなく、ただ可哀想だからという教育的思考や、そういうものだからという無の意識で動くと逸れます。
優しいことをしたり、思いやりのあることをしても、人によっては余計なことをしていると受け取られて嫌われます。
天命から逸れるとはそういうことです。理屈ではありません。
日本に住む多くの人は優しいし、思いやりがあるのですが、慈しみの天命を持つ人と、持たない人を比べたら、それは雲泥の差がある!と思ってください(笑)
とくに、慈しみの人はそのことを知っていてほしいです。
というのは、慈しみの天命の人は、大抵の場合「この世はなんて冷たい人が多いのだろう」と、悲しい思いを抱えていることが多いのです。
子どもの頃からずっと、この思いに傷ついている人も少なくありません。
そして、悲しさが高じたあげく、優しくない人に対して怒りまで感じている人もいます。
ですが、他の天命を持つ人たちも、それぞれ自分の天命に全力で取り組まなくてはいけません。
優しいこと、人を助けることはいいことですが、それがエネルギーの源になっている慈しみさんのようにはできませんし、安直にやってしまうと前述したように、迷惑がられたり、批判されたりします。
今後もしも誰かのことを「なんて冷たいんだろう…」と感じたなら「この人は慈しみをやりに生まれてないんだな」と捉えてください。
そして、慈しみの天命を持たない人は、日本の雰囲気や教育により「人に優しくしなくちゃいけない」とか「人から冷たい人だと思われたくない」という考えで生きています。
でも実際は全員が慈しみの心で生きられるわけがありません。
そんな人たちが目の前で、サッと人に手を貸せる慈しみさんを見たとき、感動もしますが、無意識にそれができない自分の罪悪感が刺激されます。
罪悪感を刺激された人は「人に向かって可哀想なんて思うのは失礼だ」とか「甘やかすな」とか「あなたはそんなことしている場合?」などと、かなりきつい言葉で攻撃してきます。
それを言わないようにすることはできないので(言っている本人が罪悪感を手放す必要があるから)その言葉はスルーしましょう。
そんな人たちは、自分がトキメクこと(天命)を頑張っていながら、あなたには「罪悪感が刺激されて気分が悪いからそれをしないでー」と言っているのです。
みんな自分の天命は、なにより惹きつけられる宝物のように感じています。
でも、人の天命はそんなにトキメキを感じません。
慈しみの天命の人も、優しくない人のことを批判しないで、勇気を持って、可哀想に思う対象を慈しみ、助けてあげてください。
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