私は保育を学ぶ学校に通っていたのですが、
その時におとぎ話や描いた絵や箱庭などを学ぶ授業がありました。
授業でヘンゼルとグレーテルのおとぎ話が題材になったとき、
2人はママ母から捨てられて、迷った森でお菓子の家を囮に恐ろしい魔女に捕まえられ食べられそうになるのですが、
その場面を読んだあとに、先生は
「最初に捨てたママ母も2人を食べようとした魔女も、どっちもこの2人の本当のお母さんですよー」と言いました(驚)
そんな風に物語を読んだことがなかったので、心底驚いた記憶があります。
また別の授業のときに、紙が配られて、
「ここに実のある木を書きなさい」と言われました。
みんな思い思いに自分の木を書いたのですが、
書き終わって周りの友達を見て、
「みんなこんなに違う木を書くんだ!」とびっくりしました。
そしてその絵を先生が見てコメントをしてくれたのですが、
私の木を見て「あなたは割と小さなことでも叶うと喜ぶ人やね」と言いました。
その通りだなと思いました。おもしろがりってそうなんですよ。
そして、その後にこう言いました
「あなたは友達に結構きついことを言うみたい、でも許してもらえてるわ」
私より先に周りの席の友だちの方が驚きながら、うんうんと頷いてました。
それも本当にその通りでした。
「実のなる木」を書いただけで、先生がどうしてそこまでわかったのか今でも不思議ですが、
とても驚いたので、もう30年も前のことなのにしっかり記憶に残っています。
当時の私は、今の自分の姿など想像もしていませんでしたが(笑)
タロットをよんで、お客さまのことを話すときに、たまに
「どこでそんなことがわかるの?」と訊かれることがあります。
「このカードですよ」とお見せするのですが、大抵の方はその絵を見て「へー」という反応です。
それしか言いようがないと思います(笑)
私も「カードに出てるんです」としか言いようがないのです。
あの時もし先生に「どうしてわかるんですか?」と聞いても
「実のなる木」には私のことがはっきり描かれていたのでしょうね。
先生もそうとしか言いようがなかっただろうなぁと想像します。
その時におとぎ話や描いた絵や箱庭などを学ぶ授業がありました。
授業でヘンゼルとグレーテルのおとぎ話が題材になったとき、
2人はママ母から捨てられて、迷った森でお菓子の家を囮に恐ろしい魔女に捕まえられ食べられそうになるのですが、
その場面を読んだあとに、先生は
「最初に捨てたママ母も2人を食べようとした魔女も、どっちもこの2人の本当のお母さんですよー」と言いました(驚)
そんな風に物語を読んだことがなかったので、心底驚いた記憶があります。
また別の授業のときに、紙が配られて、
「ここに実のある木を書きなさい」と言われました。
みんな思い思いに自分の木を書いたのですが、
書き終わって周りの友達を見て、
「みんなこんなに違う木を書くんだ!」とびっくりしました。
そしてその絵を先生が見てコメントをしてくれたのですが、
私の木を見て「あなたは割と小さなことでも叶うと喜ぶ人やね」と言いました。
その通りだなと思いました。おもしろがりってそうなんですよ。
そして、その後にこう言いました
「あなたは友達に結構きついことを言うみたい、でも許してもらえてるわ」
私より先に周りの席の友だちの方が驚きながら、うんうんと頷いてました。
それも本当にその通りでした。
「実のなる木」を書いただけで、先生がどうしてそこまでわかったのか今でも不思議ですが、
とても驚いたので、もう30年も前のことなのにしっかり記憶に残っています。
当時の私は、今の自分の姿など想像もしていませんでしたが(笑)
タロットをよんで、お客さまのことを話すときに、たまに
「どこでそんなことがわかるの?」と訊かれることがあります。
「このカードですよ」とお見せするのですが、大抵の方はその絵を見て「へー」という反応です。
それしか言いようがないと思います(笑)
私も「カードに出てるんです」としか言いようがないのです。
あの時もし先生に「どうしてわかるんですか?」と聞いても
「実のなる木」には私のことがはっきり描かれていたのでしょうね。
先生もそうとしか言いようがなかっただろうなぁと想像します。