「考えることをすぐにサボってしまう」
私はときどきこのことを考えます(笑)
ポケモンGOが大流行りですね。
我が家の高2の息子も屋内ゲームから離れ、久しぶりに友達と待ち合わせして町を歩き回っていました。
このゲームを始めてすぐに、いつも私に無口な息子が「このゲームで事故にあって死ぬ人がいるかも」と言いました。
やってみた実感なのか、ニュースを見てそう言ったのか定かではないのですが、まぁ久しぶりに息子の社会的発言を聞きました(笑)
モノゴト全て「いいと見える面、悪いと見える面」で構成されていますので、もちろんこのゲームもそうです。
ただ「たっのしーだけ」の感覚で終わらず、両面考えればいいだけと思いますが、
熱中すると確かに思考は止まるかもしれません。
それでなくてもゲームのいいところは「没入感」なのですから。
体に良くないマイナスな思考を止めるために、ゲームの没入感を使う事はとても有効だと思います。
反して周りが見えなくなるから危ない。
もちろん、そういった面もあるでしょう。
「どちらもある」当たり前ですね。
このゲームはどちらか?なんておかしなクエスチョンです。
ゲームをしなくても、ものごとの一面だけを捉えて「答えが出た!」と短絡的に思った時、それは「悟った!」と思うのと同じことだと思うのですが、自分の思考だけに没入していくと、間違えます。
たやすく答えは得られません。もちろん悟りは言うまでもなく。
人は段階を踏んで「どちらの考えも一理ある」と思考を進めるのです。
ひどいニュースが世界に溢れていますが、私はこう思います。
一面だけの考えでは間違える。
対極にあるものは等しく価値を持っている。
価値があるものと価値がないものの対極は存在しません。全てに価値があり、意味があります。同じ尊さです。
そうでなければ、この世界は元からなんておかしな作りなんでしょうね。
そうでなければ、宇宙の均衡や生命の存続はこんなに長く続いたでしょうか。
ゲームは思考を止める!
この神様だけ素晴らしい!
健康がいちばん!
これらの反対のように思えることにも等しく価値があります。
「悪いように見えるけど、それはこういう価値があるんじゃないかな?」
答えは自分の中に求めるものです。求める時に思考します。
人の考えを自分の考えのようにゲットしてはいけません。
人はサボらず考えることが大切です。
私はときどきこのことを考えます(笑)
ポケモンGOが大流行りですね。
我が家の高2の息子も屋内ゲームから離れ、久しぶりに友達と待ち合わせして町を歩き回っていました。
このゲームを始めてすぐに、いつも私に無口な息子が「このゲームで事故にあって死ぬ人がいるかも」と言いました。
やってみた実感なのか、ニュースを見てそう言ったのか定かではないのですが、まぁ久しぶりに息子の社会的発言を聞きました(笑)
モノゴト全て「いいと見える面、悪いと見える面」で構成されていますので、もちろんこのゲームもそうです。
ただ「たっのしーだけ」の感覚で終わらず、両面考えればいいだけと思いますが、
熱中すると確かに思考は止まるかもしれません。
それでなくてもゲームのいいところは「没入感」なのですから。
体に良くないマイナスな思考を止めるために、ゲームの没入感を使う事はとても有効だと思います。
反して周りが見えなくなるから危ない。
もちろん、そういった面もあるでしょう。
「どちらもある」当たり前ですね。
このゲームはどちらか?なんておかしなクエスチョンです。
ゲームをしなくても、ものごとの一面だけを捉えて「答えが出た!」と短絡的に思った時、それは「悟った!」と思うのと同じことだと思うのですが、自分の思考だけに没入していくと、間違えます。
たやすく答えは得られません。もちろん悟りは言うまでもなく。
人は段階を踏んで「どちらの考えも一理ある」と思考を進めるのです。
ひどいニュースが世界に溢れていますが、私はこう思います。
一面だけの考えでは間違える。
対極にあるものは等しく価値を持っている。
価値があるものと価値がないものの対極は存在しません。全てに価値があり、意味があります。同じ尊さです。
そうでなければ、この世界は元からなんておかしな作りなんでしょうね。
そうでなければ、宇宙の均衡や生命の存続はこんなに長く続いたでしょうか。
ゲームは思考を止める!
この神様だけ素晴らしい!
健康がいちばん!
これらの反対のように思えることにも等しく価値があります。
「悪いように見えるけど、それはこういう価値があるんじゃないかな?」
答えは自分の中に求めるものです。求める時に思考します。
人の考えを自分の考えのようにゲットしてはいけません。
人はサボらず考えることが大切です。