8日26日、父が亡くなりました。81歳でした。

お通夜は8月27日、お葬式は28日無事に終わり、もう四十九日(カトリックなので50日命日祭?追悼式?)、納骨も無事終わりました。

ご報告しようと思っていたのですが、世帯主が亡くなったもので、色々やらなければならない事がたくさんあり、なかなかゆっくりブログを書く時間がなく、遅くなってしまいました。(10月11日から書き始めていたのですが、書く事が多くて、なかなか書き終わらなかったのです。)



父は、8月15日にトイレで転んで救急車で病院に運ばれた所、骨折はなかったのですが、熱が高く、誤嚥性肺炎で、悪化してるし不整脈もあるので、入院することになりました。

その時、必ず良くなるとは言えない、万一の場合、人工呼吸器どうしますかと先生に言われ、即答できず、考えておいて下さいと言われました。

父は、数ヶ月前に、延命治療について聞いたら、「ストマ(人工肛門)をつけたまま、長生きしたくない」と言っていて、ただ、しばらくして確認のためもう一度聞いたら、「わからない」と答えていて、意思がはっきり確認できていませんでした。


知人のお母様が人工呼吸器をつけて、とても苦しんだというのを聞いていたので、そんなに苦しいなら、とか、でも自分で父の死を決めるのも嫌で、

また、人工呼吸器つけたまま家に帰ってきたら、24時間介護しなくてはならなくなるのでは、とか色々考えて、色々な人に話きいたり、ネットで調べたりしたけど、結局決められず、

先生にもう一度詳しい話を聞こうかと思っていたら、最初、心電図や酸素や点滴つけてたのが、酸素が外れ、点滴も夕方は外れ、ゼリー食も問題なく食べ、

ああ、これで良くなる、今回も危なかったけど、乗り切ったと思っていました。

24日の金曜日には、普通の食事も出て、食べたのですが、おかゆとおかず二口ずつ位食べた所で、ひどくむせて、

看護婦さんに言ったら、「もう食事さげましょうか」と言われ、食事を下げました。

その後、普段と変わりなく歯磨き、入れ歯の手入れをし、帰りました。

次の25日土曜日に行ったら、また酸素、しかも鼻に挿す管だけでなく、口も透明な酸素マスクをつけられていて、点滴も再開し、また食事も食べられなくなりました。

声をかけたのですが、うとうとしてて、あまり返事がなく、1時間程いたのですが、起きないので、帰りました。

翌朝、8時頃、病院から着信があったのですが、私は寝ていて気づかず、11時に起きた時に病院に電話したら、「酸素の数値が下がってきているので、すぐに連絡つく所に居て下さい」と言われ‥

でも、一昨日には、普通に話してたし、普通の食事も食べてたのに、と、すぐには飲み込めず、

結局、2時頃、「酸素も呼吸も下がってきていて、あぶないので、すぐ来て下さい」と言われて、病院に慌てて行き、夕方に亡くなりました。

一旦良くなって、二日後に亡くなったもので、不意打ちを食らったというか、まさかこんな急に、という気持ちで一杯でした。

病院行った時、当直の先生に、「人工呼吸器どうしますか」と聞かれ、人工呼吸器つけても、この年齢ではもう外れる事はないだろうこと、また人工呼吸器つけたまま家に帰ることはない(そういうのは、若い人で、ALSなどの場合だけだそうです)、人工呼吸器つけたら話せない、意識があると苦しいので、薬などで意識を落とすので文字盤などの意思疎通もできないなどの説明を受けましたが、それでもまだ決められず、

訪問看護婦さんに電話したら、「誰か近くに相談できる親戚の方はいらっしゃいますか」と聞かれ、大阪市内に住む、父のいとこのおじさん(病院の保証人とかになってもらってたので、比較的連絡はとってる)に電話しました。

幸い、すぐ病院に来てくれることになりました。

待つ間、父に「人工呼吸器つけたら、苦しいけど、それでも生きたい?」と聞いたら(意識はあったので話はできました)「わからない」と答えたのですが、

しばらくして、「もういい」と言って‥

でもナースコール探って、ボタンとか言ってたので、何が「もういい」のか、結局わからず

おじさんと、当直の先生と3人で話したのですが、「人工呼吸器つけると自然な生き方ではないので、自然に送ってあげましょう」と言われ、それでもまだ決めかねていたら、父の酸素と呼吸の数値がゼロになってしまい‥

「よろしいですか」と聞かれて、うなずくしかできず、

先生が脈と瞳孔をみて、死亡を確認しました。


17時47分でした。




結局おじさんは、葬儀社との話し合いまで付き添ってくれました。

我が家は宗教がカトリックなので、病院から信徒会長さんに電話したところ、その方は今は信徒会長さん代替わりしていらして、今の信徒会長さんと、葬儀会社(カトリック専門の葬儀会社)を教えていただきました。

霊安室でお別れをし、(大分泣きました)、葬儀会社の方が来られました。おじさんと顔見知り(おじさんは大阪市内の地元の教会でよく活動なさっているので、その関係でご存知だったみたいです)だったみたいで、スムーズに話が進みました。

父も退職して20年、ほとんど寝たきりの要介護生活になって14年だったので、家族葬になりました。


教会で葬儀のとき、神父様がお話をされるので、そのための生まれた日から亡くなるまでの略歴と、エピソードなどを書く書類があって、その晩はお風呂上がってから、ずっと、それを書いて、それと式の挨拶の言葉を考えていて、2時間くらいしか眠れませんでした。




続きます。