休日のどちらかは武蔵の池に足を運んでいる我ら夫婦。ヘラ釣りの最盛期のシーズンともなると、楽しめる釣り方も様々。短い竿で活性の高いヘラブナを相手にこの時期ならではの浅ダナの両ダンゴ釣りやカッツケ釣り、チョウチン両ダンゴなんかも面白い。エサに集まるヘラブナを相手に、ダンゴのタッチやブレンドを駆使し、今までにない釣果を目指すのもこの季節の醍醐味だ。

 武蔵の池でも連日80枚だ100枚だと高釣果を叩き出す一方、私はといえばーー底釣り、である。もうもう、どうしちゃったのと言わんばかりにこの春から夏にかけて、私は底釣りに明け暮れていた。武蔵の池だけではない。神扇池でも前山の池でも(さすがに椎の木湖ではやらなかったが)、至る所で底釣っていた。

 理由は至極簡単、要は釣れないからである。満足のいく底立て、そして釣果をあげられないから、くやしくてほかの釣りができないのである。(同じ理由で底釣りばかりしているオジサンがもう一人武蔵の池にはいるが。ね、シラなんとかさん!)もちろん私だって浅ダナだってカッツケだってペレ宙だってやりたい。沢山アワセて沢山釣りたい。でも、自分の底釣りに満足できないことが何より気になってしまう。なんでだ。

 そんなこんなでこの夏はひとり底釣り縛りでやってきた私である。ちょっと前だと18尺とか15尺とか長竿の底釣りをやっていたが、いかんせん底取りがへたくそで釣果があがらないので、「季節的なことを考えれば13尺の方が釣りやすいんじゃない?」といういつものトーナメンターの言うことを大人しく聞いて、8月は真下の底釣りを一生懸命やった。


 13尺の底釣りは底取り自体は簡単だが、釣れないとテキメンに釣れない。底にいないというわけではない、ウキは動くのだ。しかしカラだったりスレだったり、アタリが宙釣りのように大きかったり、なんかおかしい状態になってしまう。(それを追っかけるから毎回底釣りばかりしてしまうという要因である)。


 今回はその反省を込めて、ここ最近底釣りばかりやってしまっている自分の心の向き合ってみることにした。


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 底釣りでも宙釣りと同じように、ウキが立ってからエサのなじみが出るまでの間、スン、と何とも反応がなくなじんでしまうようじゃ、底に魚はいなかったりまだ魚が寄っていない。なのでエサのなじみが出たら竿をあげてすぐ次のエサをうつ。まずはテンポ良く寄せるのだ。


 ウキが立ってから、ジワ、ジワ、ジワジワ…とゆっくり受けながら入っていく状態だと魚がいる。狙っている。


 そういう時は底についた、と同時にチクンとしっかりとアタる。そして、エサを食っている。このアタリが出ると、結構釣れるのだ。そして楽しいのだ。ゾクゾクするのだ。


 そんなふうに底釣りを持っていくということを、私は今年の春に訪れた神扇池で初めて知った。底釣りをしていて、なかなか釣れないのでいつものトーナメンターに見てもらったところ、そういう風に教えてもらった。


 つまるところ、宙釣りも底釣りも、狙いどころはそんなに変わらないってことなんだなとわかった。今頃なのかもしれないが。


 それがわかってからは俄然底釣りが面白くなった。しかしそれとともになかなか釣れなくなった。夏場というシーズンのせいもあるが、慣れないのでなかなかエサ合わせが難しいことと、せっかく狙い目の当たりが出ても続かないのである。


 底について食ってくるエサというのは結構柔らかめなので、いつも固いエサからスタートしがちな私にとってどこまで柔らかくしていいかわからなく、ついつい時間がかかってしまう。エサをいじり過ぎて粘ってしまい、なかなか食いごろのエサにならないことが多い。よって保ち過ぎてのカラツンか保たなくてのカラツン、またはスレ地獄になってしまう。


 なるべく柔らかめのタッチでなおかつ保ちが良く、適度にバラけてくれるダンゴエサ。最近の私はもう「芯華」さまさまである。頼りっきりである彼に。自分ではそれにマッハを入れるブレンドか、GDを入れるパターンが最近のお気に入りである。


 芯華の保ちの良さで、結構柔らかくしても底まで保ってくれる。袋を開けたときに香るニンニクフレーバーも食欲をそそる(これはヘラでなく私の。もちろん食べません)。


 そしてせっかく芯華のポテンシャルでもってエサが安定し、理想の当たりが出て何枚か釣れても、アタリが消えてしまうことが多い。これは底が掘れたりセッティングがズレてしまうからなのだけれど、これを元に戻すのもまた大変。釣りにおける三大面独裁(ひらがなで打って漢字変換したらこれが出ました。面白いからそのまま)の一つ

であり私の苦手なことの一つでもある底立て。


 まあそれでもまあ、うん、昔よりはできるようになったと思う。今年の夏、馬鹿の一つ覚えのように熱心に底釣りしただけあって、だいぶスムーズになってきた。でも、できるようになった1番の要素は、クソ当たり前なんだけれど「底をとれなきゃ底釣りができない!」からである。それくらい、底釣りというのは魅惑的であり、魅力があり、そして中毒性がある。多分私、いま底釣り依存症かも。竿が長くないと釣りする気にならないところまで来てしまっているかも、私…。


 そんなこんなで、今日も私は底釣りをする。あの神扇池での夢のようなアタリを追いかけて。