東日本大震災を振り返る。①の続き。
熊本に帰省した私たち親子は、実家にお世話になった。
同じように東京から避難してきている親子に出会い、仲良くしてもらっていた。
彼女の存在が本当に大きかった。
地震から解放されたから、身体の揺れが止まった。
安心して子育てが出来るようになった。
熊本もペットボトルの水が手に入りにくく、販売規制がかかっていた。
時間があると、いつもインターネットで情報収集をしていた。
帰省後、2ヶ月位は心地よく過ごしていたが、だんだん長く実家にいることに対しての罪悪感が沸き起こった。
夫に話したら、頼れるところがあるのなら頼った方がよいから甘えたらとの事。
母もまだこちらにいた方がよいとの事で、もう少しお世話になることにした。
知り合いが全くいない土地での生活だったが、知り合った同じ境遇の方のつてで、出会いが徐々に増えていき、東北や関東から来ている人達がまあまあ居ることを知った。
梅雨が明けた頃から、実家に居る事への罪悪感が更にまし、1日中公園で過ごすかお友達の家で生活することがほとんどだった。わたしは、日に焼けて真っ黒になった。
父が私達が長々と居ることにいい感情を抱いていなかったことは、良く分かっていた。
元々夫婦仲が良くないうえに、娘の帰省で考えが合わないからギクシャクしていた。
耐えられなくなったわたしは、夫の了解を得てアパートを近くに借りて出ていく事を決意。
不動産やさんに泣きながら飛び込んで、ちょうど舞い込んできた物件を借りる事になった。
つづく。