あらきのいとなみ
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imageの7曲目マイナステーション

「君の行動には何か意味があるの?」

「君が言っている事の意味が分からない」


あなたは、この二つの文章の意味の違いが分かりますか?



あなたの周りにも似たような人がいると思いますが、僕の友人に言葉の意味を分からずに使っている人がいましてね。

その友人はカタカナ語や難しい単語を使いたがったりするんですが、それぞれの言葉の意味を間違えて覚えていて、間違いに気づかずに堂々と会話の中で使うので、意味が分からなくなって会話が混乱するんです。

その度に、話があっちへ行ったりこっちへ行ったりとフラフラしてしまうのでちっとも話が進まないんです。

で、イライラしまして

「おめ~よぉ!自分で意味が分からない言葉を使うなよ!」

と言ったわけです。

が.....言った瞬間、

「ん?....あれ?」

頭にポッと浮かんだんです。

「意味が分からない........ん?意味?」

気づいたんです。

友人に対して
「意味が分からない言葉を使うな」
と言っておきながら、僕、「意味」という言葉の意味がすぐに出てこなかったんです。

しばらく考えまして.....

意味.....意味......いみ.......IMI.......意味..........

う~ん

意味は

意味でしょ

いや、それじゃ答えになってないし。

ギブアップ

分かりません。

意味という言葉の意味、私は知りません。

説明できません。

そこで辞書を引きました。


さすがですね。
ちゃんと書いてあるんです、「意味」の意味が。
辞書なんだから当たり前なんですけどね。


ごく簡単に書きますと、「意味」の意味は
・目的
・理由
・内容
・価値
・(作品などに込められた)気持ち


なんです。

たとえば
「君の行動には何か意味があるの?」
これは
「君の行動には何か目的があるの?」
という意味です。
「意味」の意味が「目的」になっているのです。


「君がどうしてそんな事をやったのか意味が分からない」
これは
「君がどうしてそんな事をやったのか理由が分からない」
という意味です。
「意味」の意味が「理由」になっています。


「君が言っている事の意味が分からない」
これは
「君が言っている事の内容が分からない」
「意味」の意味が内容になっています。


「すぐ壊れてしまう鞄に5万円も払う意味があるの?」
これは
「すぐ壊れてしまう鞄に5万円も払う価値があるの?」
という意味になります。
「意味」の意味が価値になっています。


「この絵画の意味が分からない」
これは
「この絵画(に込められた作家)の気持ちが分からない」
という意味です。
「意味」の意味が(作品に込められた)「気持ち」になっている訳です。

と、ここまで簡単に書きましたが「意味」という言葉の意味はこれだけの意味があるのです。

しかも

「君の行動には何か意味があるの?」

僕はこれを
「君の行動には何か目的があるの?」
という意味だと前述しましたが、話の流れや環境、話している人の性格によっては
「君の行動には何か理由があるの?」
という、理由を問いただしている意味としても通るのです。

日常生活でたいして意識してなかったけど、「意味わかんねーよ」というのは

目的
理由
内容
価値
気持ち

のいずれかが伝わっていないということ。
どれが伝わっていないかによって話の意味はドンドンすれ違って行ってしまう訳です。

言葉って難しい。

でも、なんかね、これを考えていたら

「なんだよアイツ、なんで意味がわかんねーのかな?」

ってイライラしていた自分がバカバカしくなったんですね。

これだけ複雑な事をやってれば誤解も生まれるよね。

自分の言っている事の意味が伝わっていないと思った時、
伝わっていないものが

目的なのか
理由なのか
内容なのか
価値なのか
気持ちなのか

冷静に考えてみれば、意外と問題は簡単に解決するのかもしれないね。


Tschüs  ak

前と後

イチロー選手

以前から50歳で現役という目標を持っているという話をよく耳にしますが、現在40歳。

体力やコンディショニングなどフィジカル面ではまだまだ問題無いように思う。

守備面でも走塁面でも若干パフォーマンスが落ちていると言う人もいるけど、出場機会に影響する程のものではない。

やっぱりバッティングだよね。

「四球はセコい」

という発言があったとか言われるぐらいだから四球が少ない。

四球が少ないとなると、打率は最低でも.330くらいは打てないとレギュラーとして試合に出るのはちょっとキビしい。

.270近辺の打率では尚更厳しい。

ある程度、四球を取れるようにバッティングスタイルを変えるのだろうか?

法律

仕事を通じて昨年の秋より、法哲学者の高瀬暢彦先生のお宅にお邪魔する機会に恵まれています。

以降、毎週、高瀬先生のお話をお伺いしながら色々なことを考えさせられている。

初めてお会いした時に、現代の日本の法律や社会について色々とお話ししていた時に高瀬先生から

「そもそも法律とはなんですか?」


という問いかけをいただきました。

え?
法律?
えーと、決まり…だよね。
何のための決まりかっていうと…うーんと…
これ、ちゃんと考えると結構難しい。

ひとしきり考えて

「社会の秩序を維持する為の決まりではないでしょうか。」

と答えたのです。

「そうですね、法律は社会の秩序を維持する為の決まりなんですけど、法が機能するためには必要なものがあるんですよ。」

法が機能するために必要なもの?

え?
なんだろう?
わからないなぁ…。

「分かりません。それはいったい何でしょうか?」

と、答えると

「権力なんですよ。法が機能するためには権力構造を必要とするんです。たとえば、国家権力とか警察権力とか。権力によって法律は執行されるから権力構造が確立していない社会では法は法として機能しないのです。」

なんたること!
確かにその通り。
なんという単純明快で分かりやすい答え。

さらに高瀬先生は

「我々は権力が法を行使することによって、我々の基本的人権に制限を加えることを許可しているのです。」

確かに、権力が法律を行使したら
逮捕→収監
だとしても

同じことを個人がやったら
逮捕監禁で罪になっちゃうもんね。


そうか…
今まで考えたこともなかったな~
でも、なんだかものすごく面白い話だぞ、これ。

ん?
ちょっとまてよ?

法律は権力を必要とするということは、法律って常に権力の味方なんじゃないの?
法律が権力を否定してしまったら法律自身も否定してしまうことになってしまうんじゃないか?

とか

新たな法律が成立するということは権力の拡大を意味するのではないか?

という疑問が湧いてきたりする。

そうすると、いずれは拡大した権力によって我々が縛り付けられてしまう、なんとも不自由な世界ができあがってしまう可能性もあるんじゃないか?


むむっ…
自分が最近の日本に対して感じている不自由な感じはまさにコレだ。


何かトラブルや問題が起こった時すぐに

「刑事罰を!」
「民事的な賠償責任を!」

という反応が現れたり、

対象的に
「法的な責任の所在は…」

と、法律を持ち出してきて自分の正当性を主張したりする。

他にも何か事故や事件が起こるとすぐに新たな法律を作る事によって対処しようとすることとか。

もちろん、これらは間違いではないと思う。
法律や社会の秩序は軽く考えて良いことだとは思わないからね。

でもね、なんとなく不自由な感じを受ける。

トラブルや問題は法律に頼らなくても解決できる余地があると思うんだ。

お互い同じ人間なんだから、話し合ったり交渉したり、妥協しあったりして解決する方法だってあると思う。
とはいえ、相手によっては話し合いや交渉が成立せず、妥協もないことはあるから法律による解決法を否定する訳ではないよ。


でもね、トラブルや問題が起きた時に、いきなり法律を持ち出してきて、権力の介入によって問題を解決するという姿勢にはどこか不自由さを感じるんだよね。

なんとなく、人間が持っている大切なものを放棄してしまっているような気がするというか。


Tschüs  ak



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