明日、で2年。
今私がいる、自宅から、1分の店で、被災した。
あの日、今年の節分の日で異動になった上司が休みだった、金曜日で、普通の地震かと思ってたら、揺れが強くなったり、長くなったり、多くなったり…。
片付けや、安全確保をし、トラブルも発生した。
そして、店から、2分ほどの駅は4時半には、シャッターを閉め、封鎖された。
電気が通らず、夕食を作れないと集まってくるお客さん、非常食、非常用品を買いにくるお客さんが、毎日押しかけ、商品が流通出来なくて、どんどん品薄になり、クレームも多くなり、数量制限もかかり、開店時間に長蛇の列ができるのが、一月あまり続いた。
あの日店には、家に帰れなくなった人達が集まり、閉店間際までそのお客さん達を広い場所に泊めてあげようということになっていたが、目の前の福祉施設でホールへの受け入れが決まり、先輩と年上の後輩の方をうちに泊めることにし、仕事を終えるまで待ってもらった。
メールも電話も通じず、姉とメールが繋がったのは、翌日、従姉妹と叔母と連絡がとれたのは3日後。
私の母校だった小学校と中学校は、避難所や配給所になった。
実家に電気が戻ったのは一週間後。
1ヶ月後の4月8日だったかな。
また、大きな地震があって、二度目がとどめになって、実家の、お寺はこの時、灯籠や、墓石とかにも被害が出たらしい。
震災後、何度も実家に行こうと思ったけど、沢山の上司に止められた。
道路公団なんかにも問い合わせて通れる場所を探したけど無理で、祖母の三回忌だった5月後半、夜行バスで実家へ行き、親族の無事を確認し、家や小中学校、仙台駅前を見回り、漫才ギャングが上映されたばかりだったから、見てまた、バスで帰った。
こっちへ戻ってきてから、きたお知らせは、元気宅配便だった。
姉と福島の友人との共同で、彼女と両親に姉をそのイベントに連れていくことが出来た。
周りにいた人達は、メッセージに号泣した。
なだめる私もヤバかった。
二回目の回では、サプライズを参加させてもらって、一度目よりも止まらなかった。
その後、Kスタにて、野球の試合を見せてもらった。
あの時、父から、実家を取り壊すことを聞いた。
その1ヶ月後、私は、当時の職場を辞めることを決意し、再就職することにした。
再就職したものの、両親が都内で働くこととなり、当初手伝う予定だったが、両親の意見の相違で見送り、また、新たに仕事を変えることになった。
仲の良い人には伝えてあるけど、1つ1つある度に、私の精神状態は、不安定となり、色んな意味で危機的状況は続き、改善するも、また問題が浮上するという繰り返し。
思ってくれる人、また、お互いを思い合う人と常に一喜一憂、沢山泣いた。
時間が経過し、仲間が変わり、辞めていき…また、上司が変わるという。
私も周りも選択と変化を余儀なくされた。
もう2年、まだ2年。
実家は、地盤を固め、高くすることからなので再建のメドはたっていない。
いつになることだろうか。
私自身、色んな面で不安定で先が不透明のまま。
沢山の人に心配と迷惑をかけている。
とりあえず、体調を崩さないよう毎日過ごし、仕事に明け暮れている。
時に人を羨ましいと思うけど、今の自分に人と同じ生活をすることは出来ない。
ただひたすら、生きる。のみ。
来年は改善できるよう、頑張るだけ。
それまで体力がもてばいいのだけど。
さっきのミスターサンデーでクリステルさんが言ってた。
心の復興はまだまだ、だと。
私でさえもそうなのだから、もっと被害が大きかった人達はもっともっと大変だろう。
ちなみに、この市内で被災がひどかったところも建て替え、取り壊しが徐々に進んできているけど、まだ、電柱や建物が傾いているところもある。
仕事中、窓の外が濃霧とは違った視界不良を確認したが、それは煙霧という、チリやほこりが巻き上げられたものによるものだとニュースで知った。
異常気象の1つなのか?
エックスデーの明日、何事もなく、無事に1日を終えることが出来ればいいのだけど。
そしたら、余震が減ったことでまた1つ復興の一歩になると思う。
日々安泰でありますように。
普通の1日が当たり前に過ごせますように。
今私がいる、自宅から、1分の店で、被災した。
あの日、今年の節分の日で異動になった上司が休みだった、金曜日で、普通の地震かと思ってたら、揺れが強くなったり、長くなったり、多くなったり…。
片付けや、安全確保をし、トラブルも発生した。
そして、店から、2分ほどの駅は4時半には、シャッターを閉め、封鎖された。
電気が通らず、夕食を作れないと集まってくるお客さん、非常食、非常用品を買いにくるお客さんが、毎日押しかけ、商品が流通出来なくて、どんどん品薄になり、クレームも多くなり、数量制限もかかり、開店時間に長蛇の列ができるのが、一月あまり続いた。
あの日店には、家に帰れなくなった人達が集まり、閉店間際までそのお客さん達を広い場所に泊めてあげようということになっていたが、目の前の福祉施設でホールへの受け入れが決まり、先輩と年上の後輩の方をうちに泊めることにし、仕事を終えるまで待ってもらった。
メールも電話も通じず、姉とメールが繋がったのは、翌日、従姉妹と叔母と連絡がとれたのは3日後。
私の母校だった小学校と中学校は、避難所や配給所になった。
実家に電気が戻ったのは一週間後。
1ヶ月後の4月8日だったかな。
また、大きな地震があって、二度目がとどめになって、実家の、お寺はこの時、灯籠や、墓石とかにも被害が出たらしい。
震災後、何度も実家に行こうと思ったけど、沢山の上司に止められた。
道路公団なんかにも問い合わせて通れる場所を探したけど無理で、祖母の三回忌だった5月後半、夜行バスで実家へ行き、親族の無事を確認し、家や小中学校、仙台駅前を見回り、漫才ギャングが上映されたばかりだったから、見てまた、バスで帰った。
こっちへ戻ってきてから、きたお知らせは、元気宅配便だった。
姉と福島の友人との共同で、彼女と両親に姉をそのイベントに連れていくことが出来た。
周りにいた人達は、メッセージに号泣した。
なだめる私もヤバかった。
二回目の回では、サプライズを参加させてもらって、一度目よりも止まらなかった。
その後、Kスタにて、野球の試合を見せてもらった。
あの時、父から、実家を取り壊すことを聞いた。
その1ヶ月後、私は、当時の職場を辞めることを決意し、再就職することにした。
再就職したものの、両親が都内で働くこととなり、当初手伝う予定だったが、両親の意見の相違で見送り、また、新たに仕事を変えることになった。
仲の良い人には伝えてあるけど、1つ1つある度に、私の精神状態は、不安定となり、色んな意味で危機的状況は続き、改善するも、また問題が浮上するという繰り返し。
思ってくれる人、また、お互いを思い合う人と常に一喜一憂、沢山泣いた。
時間が経過し、仲間が変わり、辞めていき…また、上司が変わるという。
私も周りも選択と変化を余儀なくされた。
もう2年、まだ2年。
実家は、地盤を固め、高くすることからなので再建のメドはたっていない。
いつになることだろうか。
私自身、色んな面で不安定で先が不透明のまま。
沢山の人に心配と迷惑をかけている。
とりあえず、体調を崩さないよう毎日過ごし、仕事に明け暮れている。
時に人を羨ましいと思うけど、今の自分に人と同じ生活をすることは出来ない。
ただひたすら、生きる。のみ。
来年は改善できるよう、頑張るだけ。
それまで体力がもてばいいのだけど。
さっきのミスターサンデーでクリステルさんが言ってた。
心の復興はまだまだ、だと。
私でさえもそうなのだから、もっと被害が大きかった人達はもっともっと大変だろう。
ちなみに、この市内で被災がひどかったところも建て替え、取り壊しが徐々に進んできているけど、まだ、電柱や建物が傾いているところもある。
仕事中、窓の外が濃霧とは違った視界不良を確認したが、それは煙霧という、チリやほこりが巻き上げられたものによるものだとニュースで知った。
異常気象の1つなのか?
エックスデーの明日、何事もなく、無事に1日を終えることが出来ればいいのだけど。
そしたら、余震が減ったことでまた1つ復興の一歩になると思う。
日々安泰でありますように。
普通の1日が当たり前に過ごせますように。