※今回は、ちょっとジメついた(自分の過去の傷について)話を書きます。
note巡回をした際、
「サターンリターン大事!」
という記事を見つけて、
「そういや私のサターンリターンの時には何があったかしら?」とトランジットを調べてみる。
私のサタリタ(省略形)は2013年の3月頃。
その頃私は、転職をした。
転職の理由は、仕事をある事で休みすぎてクビになったから。自分のやりたい事のために、家族にも随分負担を掛けたし、仕事を休む罪悪感に飲まれて、自分の未来に明かりが見えなかった。お金もなかった。沢山サポートしてくれる人達がいたのに、本音を言う事がものすごく怖くて孤独だった。
家族との関係性についてもスポットライトが当たった時期。自分の土台が揺らいで、落ち着かなかった。(後に和解というか、それなりに良くなりました)祖父の認知症の発症もこのあたり。
サターンリターンというのは、
「本来の自分に戻って来る時期」らしく
つまりこれが私の現場だったのだな。
私は、ここに戻らなくてはいけなかったのだな。
と、受け入れたくないけれど受け入れざるを得ない事が続いた。
「自分のネガティブな側面は、実は自分ではない」
「本当は、自分にはすごい何かがある」
「もっと別のところに私の生きるべき場所がある」
という思考が、単に上手くいっていない現実から目を背けていただけ…という事が、どうしても受け入れられなかった。
逃げたかった。
自分をまともに見られなかった。
他人の考えに容易に流される自分も
自分が何かを感じていても、相手と感じ方が異なっていることに強い「恥」を覚えて表現出来ない自分も
それ故に他人に強い嫉妬や「自分のやりたい事が奪われた」という被害的な気持ちにズブズブと沈んでいく自分も
醜くて、見られなかった。
あの頃の私は、生きながらの生まれ変わりにとても憧れていた。
ふわふわと、温かいものしか信じたくなかった。なのに、冷たい泥に両足がとられて動けなかった。
「生きながらの生まれ変わり」
それは冥王星的で、それを支配星に持つ蠍座的なワード。
生まれ変わりたいのに、自分の感情やセルフイメージに囚われて変われない…。今までの自分を壊すのが怖い。蠍座に土星を持つ自分の、辛かった時期を思い出すと、こんな感じだった。
自分の裏も受け容れる、融け合って一つになる、死と再生の領域。そこには土星と共に火星もいるから、エンジンとブレーキを同時に踏んでいるような、物事が全然進まない焦れったさと押し付けられているような息苦しさがあった。
…色々思い出していたら、何だかこう頭の方にズーンと重たいものが垂れてくるような感じがしたので、またいずれ、サタリタ続編として書こうと思いますゼェゼェ
あと…あと語彙力と文章を構成する力が欲しい…!!
今の自分が振り返ると、かつての私はこの蠍座の土星と火星コンビ(オーブ2度のタイトめな合)に結構参っていたのですが、土星と火星がタッグを組んでいるからこそ、粘り強さ(諦めの悪さ)が身についたし、星を知ってからはそれを意識した事で得られた関係もあるので、星読みと出会えて良かったな!と思います。
自分が抱いていたネガティブなセルフイメージも、別の角度から見直すと定義の幅が拡がったり、ポジティブな捉え方にも繋がるので、玉ねぎの皮を一枚一枚ペリペリするように少しずつ自分の枠が剥けていく感じがします
自分一人では抜けられなかった事も、リアルやネット含め自分以外の人達の言葉や叡智で開ける事がある。
一人じゃないんだ。
懐が深いところに生きているのだな。