先日、某大手企業の管理職の方と話していて、多くの働く会社員が「属人的な仕事を排除しなくてはならない」と思い込んでいるのはなぜか、という話題になった。
私は「その人にしかできない」仕事だからこそ、やりがいが生まれるものだと思っている。その人にしかできないからこそ、その人にお願いしたいという需要が生まれる。その会社にその人がいるから、その会社にお願いする。そういうことだ。
先日、高エネルギー加速器研究機構(KEK)の一般公開に行ってきた。ノーベル物理学賞を受賞した「小林・益川理論」を証明したSuperKEKB / Belle II実験においても、たとえば測定器のワイヤー1本張るのに、なぜか「その人じゃないとうまくいかない」ということがあるという話は聞いたことがある。
一般公開では、ハドロン実験の測定器について、大学院生が一生懸命に説明してくれたのだが、そこでも、測定器にワイヤーを張るときには、もう「えいやっ」といくんですよ、と手作業での実験装置の細部の作り方を教えてくれた。精密実験の内部の超精密な測定部品を作るのも手作業であり、そこは機械ではないのかと、とても面白かった。その人の経験やセンスからくる「手作業」こそが、巨大物理実験の心臓部をも形作っている。
私は紙媒体やWebページの制作が専門であるが、デザイナーや編集者、ライターの仕事も各人の経験やセンスからくる言葉一つの選び方や、余白の取り方、アイディアが「良い作品」を形作る。「その人だからこそ」の属人的な仕事だからこそ、「良いものをつくる」というやりがいも生まれるというものだ。
結局「属人的な仕事は排除しなくてはならない」というのは、それによって代替的な人材を確保できる、経営者の都合の発想なのだろう。それを働く側が、そういうもの、と思い込まされている風潮はつまらないし、ひいては社会全体の「活力」を削いでしまうものなのではないかと思う。
冒頭のその方とは、「属人的な仕事自体が問題なわけではなくて、その仕事を社内で引き継いでいく教育システムの不備のほうが問題ですよね」という結論で双方納得した。
私は裁量をもって任せてもらえる仕事がしていきたいし、自分にしかできない仕事だからこそやりがいを感じるし、そのやり方を教えてほしい、という後輩がいたら喜んで指導したい。そういう社会になるように、これからも「属人的な仕事は…」という人を発見したら、「それは働き手側の論理ではない」と、こまめに食ってかかっていこうと思います。