母へ連絡をした後、実家は大騒ぎだったと思います。わたしは三姉妹の真ん中っ子で、姉には2人の子ども、妹にも子どもが1人居て揃って同じ保育園に通っていました。姉も妹もフルタイムで働いているので、保育園の送迎などをサポートしていた母がいなくなっては大変です。でも当時のわたしはそんな事まで頭が回らず、母がこちらにきて私たち家族のサポートをしてくれるのが当たり前のように思っていました。

しばらくして、母から電話がありました。

「お姉ちゃんが言っとんじゃけど、わたしがそっちに行くより、あんたが帰ってきた方が良いんじゃないかと思うんよ。とうとには寂しい思いをさせるけど、実家の方がゆっくりできると思うし」

たしかにそうかもしれないけど、長女はもうすぐ小学校入学だし、次女も幼稚園入園、2人とも行くところが決まっていて仲良しのお友達と同じ学校、幼稚園に行くのを楽しみにしてるのに今さら転校、転園?わたしが考えあぐねていると、姉が電話に出て「転校の手続きなんて紙切れ一枚、まだ一年生だし治療が終わればまたそちらに帰れるんだから、こっちに帰っておいで、その方が皆んなで協力出来る」と。そして地元の評判の良い乳腺外科のある病院のことも教えてくれました。

公務員の姉はそういうことに詳しく、その方が良い!ときっぱり言われたらそうなのかもしれないと思い始めました。

頭の中がぐるぐるしてきました。

主人に話すと「たしかにその方が良いかも。出産も上の2人を産んだ同じ先生にお世話になった方が安心だし」と賛成しました。

正直言って何が正しいのか分かりませんでしたが、とにかく初動が大事だからと言う主人に急かされるように実家への帰省を決めました。

そうと決まると、こちらの乳腺外科にも産科の先生にも話さなければなりません。すぐに電話をして岡山の病院への紹介状を書いてもらい、生検のデータなどカルテの準備も快くしてくださいました。病院に受け取りに行くと「その方が良いと思う。岡山の〇〇病院の〇〇先生は乳腺外科では有名な方だし安心して任せられるから頑張って!またこちらに帰ってきたらボクが面倒見るから!」と、ニコニコ大らかにおっしゃってくれました。


その日の午後は地域のコミュニティーハウスのオープンイベントとしてオファーを受けていたコンサートに出演しました。仲間たちにはもちろん話せずにいました。話すと泣いてしまって歌えないので。

プログラムに"千の風になって"があり、「わたしの〜お墓の〜ま〜えで〜泣かないでください〜♬」と。我ながらよく歌えたものだと思います。主人はその日買ったばかりのビデオでずーっとわたしを撮っていました。どんな思いだったんでしょうか?正直歌いにくかったです。

コンサート終了後もメンバーには特に何も告げず、荷造りのためにそそくさとその場をあとにしたと思います。皆んなに会うのもこれで最後かもしれないのに、そんなことも考えられないほど急いでいました。新幹線の時間があるので。

マンションのご近所さんに簡単に話してエレベーターまで見送られ、そのまま2人の子どもを連れて駅に向かいました。ご近所さんが驚いていたのと、目が真っ赤になっていたのと、「大丈夫よ、絶対治るよ」と言ってくれたのをはっきり覚えています。

驚かせてしまい申し訳なかったのですが、詳しく話すと泣いてしまうし、さっさとその場を離れないと辛くて行けなくなってしまいそうだったと思います。


そして新幹線で実家のある岡山へ向かいました。しこりを見つけてから10日経っていたかいなかったかくらい、あっという間の展開でした。