こんにちは!
ジャカルタ在住、10ヶ月。
まだまだ働きたい駐妻のまきこです。
ご訪問いただきありがとうございます。
昨日、久しぶりにセミナーで
泣きました。
じわりとってよりも、
もはや涙をこらえてポロリ。
行ってきたのは
特別セミナー。
今回の講師は
藤井礼子さん
海外在住歴21年、
滞在国5か国。
その内10年滞在した
インドネシアで
手書きバティッグ更紗に出会い
ご自身で事業を立ち上げられた方。
正直ね、
そんな事業の立ち上げ話が
聞きたくて参加した訳です。
もちろんそのお話も
とってもよかったけれど、
私の涙ポロリはそこではなく。
やっぱりね、
海外生活って楽じゃない。
石油関連の会社にお勤めの
ご主人の転勤で
中東やアジアを転々と21年。
1990年湾岸戦争。
その時、藤井さんはサウジアラビアにいた。
湾岸戦争が勃発したとき、
ご主人の会社の先輩が
人質として連れていかれる
事件が発生。
これ、28年前ですよ。
私も記憶がある湾岸戦争。
日本企業の駐在員。
それがある日突然、
家から夫が連れていかれる。
しかも人質として。
先輩には奥さんも
当時2歳くらいのお子さんもいた。
無事に解放されて
戻られたそうなんですが
想像できますか?
華やかな駐在生活なんて
言葉とはかけ離れた現実。
その時のご家族のことを
思ったら涙がジワリ。
海外で生活するって、
外国人になるってこと。
外国人になるって
その国のマイノリティ。
国は守ってくれない。
今は平穏なジャカルタで
私は海外生活ができているけれど
この平穏な日々がいつ変化するかは
わからない。
そしてそのリスクは
正直日本よりも高い。
それがアジアの駐在生活。
なんだか、
忘れてしまっていた、
忘れてはいけない
海外生活のリアルを思い知らされる。
そして一番涙が止まらなくなって
しまったのが
駐在生活で一番悩んだこと
というお話でのエピソード。
「悩みは常にあったので、
一番苦しかったこと、辛かったことを
お話させていただきますね」
と藤井さんが話し始められる。
それは、
日本に一時帰国していた時に
お母さまが亡くなられたこと。
藤井さんが出かける直前まで
元気でいつも通りだった
お母さまが突然亡くなった。
一時帰国中だったから
すぐに病院に駆けつけられたそう。
でも、大好きだったお母さま。
何年も、何年も
海外で生活していて
一緒にいられなかった。
それが苦しかった。
そうお話してくださった。
私がここで泣けたのは
まさに最近悩んでることだったから。
私の両親は正直なところ
もう【元気】という分類にはいない。
特に母。
気持ち的には元気そうだけれど
体がもう言うことを聞かない。
ジャカルタに遊びに来る
なんて絶対にできないし、
一時帰国した時に
私の娘と遊ぶことも難しい。
実家には
父と母しかいない。
兄たちも遠くに住んでいる。
もし何かあったら!?
私はいつ駆けつけられるんだ。
その後日本でどう生活できるんだ。
心配しだしたら止まらない。
私も学生の頃は
短期でも長期でも
海外によく言っていた。
その時と、
30代になって結婚して、
子どもがいて、
それで海外にいること。
もう背負っているものが
違いすぎる。
学生の頃は
両親の心配なんて必要なくて
自分のやりたいこと、
見たいものの為に海外に行っていた。
30-40代が
多い駐在員家族。
子育てだったり、
家を買う人だったり、
両親の介護の話があったり、
なかなか人生のメインイベントが
たくさんあるそんな年代。
それを海外で過ごすこと。
なかなか想像できない
大変さがある。
改めてそう思う。
藤井さんのお話と
自分の悩んでることを重ねて
涙がポロリ。
次の一時帰国は年末。
意外に心配してるのは
私だけかもしれなくて、
母は元気かもしれない。
そんなことを思いつつ
次の一時帰国が待ち遠しい。
おかあさーん。
元気でいてくれよー!
藤井さん。
とても優しい語り口で
ストレートにお話しくださいました。
とても、とても心に響きました。
ありがとうございました。
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藤井さんのストーリーはこちら。
http://www.okimono.jp/info/story_detail/index/25.html
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