なぜ【本物に触れなさい】と言われるのか。
本物に触れると何がどう変わるのだろう?


これは私のイメージ、というか
物理的解釈だけど、、、


【意識】を粒子に例えると
粗いものから細かいものまで幅がある。

粗い意識はパワフルだけど抵抗があって

色んなものとぶつかったり、
微細な隙間には入っていけない。


いつもそれぞれの【意識】は
基本の周波数で振動しているけれど

共鳴する音叉のように

より高い高周波に接すると、

分解して、細かく微細になっていく。

粗いものが細かくなることで
繊細な隅々にまで意識が届くようになる。


粒子が細かくなるということは 
意識が拡大するということ。

どこまでも入り込み、
拡がっていけるということ。



昔、沖縄に行った時、
初めてグラスボートで珊瑚礁をみた。

海の中の色とりどりの魚が
空を飛んでいるように自由に珊瑚の間を泳いでいるのをみたとき

直前まで友達と普通に楽しく話していたのに

急に胸の奥がじ~んとして
海が夢の中のように綺麗すぎて 

涙が出てきた。

あまりにも美しいものを見ても
人間って涙が出るんだ、と思った。
自然を見て涙が出たのは、これがはじめて。


それから、山に登った時も
辺りの美しさに強く反応するようになったし
絵画を見てもすぐにその意識になる。

さまざまなものに幅広く反応、
共鳴するようになった。

いわゆる変性意識状態というのも
この延長にあるんだと思う。


【本物】っていうのは
【真実の美しさ】のことなのかもしれない。

【真実】を、研ぎ澄ました感性で
色んな切り口から表現したものが【芸術】


『芸術』というのは
見えない美しいものに
ひたすら意識を合わせ続けるという意味で
どこか『祈り』に似ている。


去年行った岡本太郎の
『太陽の塔』にも衝撃を受けた。

昔は「爆発の人」
みたいなイメージしかなかったのに、 
太陽の塔の中身に入ったとき、

あまりの鮮烈な【体験】に 
意識が一瞬、トランス状態になった。

この人、本当に本物の天才だったんだ!と思った。

感想を書くと言いつつ、言葉で表現しつくせなくてあのままになっているけれど
いつか書かねば。


昔のblogでイルカに触れたとき
「真実に触れると人は元気になる」
みたいな記事も書いたことがあった。

ありのままの姿は、美しい。

美しいものを見たとき
意識は引き上げられ拡大する。

「本物に触れる」というのは

自分の中に眠っている美しさに
光を当てる事なのかもしれない。

同じ要素が自分の中にもあることを
「思い出す」。

共振・共鳴することで
ますますそれは拡大していく。


恩師が言っていた【感性を磨く】
というのは多分、
「共鳴できる振動域を拡げる」
ということなのだろう。
どの振動域にも、美しさはある。


そして、
制限されていない、
局所的でない、
「ありのままの感覚」を思い出す。


面白いことに【声】も

高い音が出るようになればなるほど幅が拡がり
低い音にも深みが出てコントロール出来るようになる。


【意識】も
同じなのかもしれない。


これからも様々な本物に触れて

思い出し、探求して行きたい。