2018年 6月18日 7時58分

 
大阪北部地震 発生
 
 
 
私はちょうど、そろそろ起きようかと眠りが浅くなっていたところでした。
阪神淡路大震災の時のように、体が揺れていて、目を開けるとベッドじだい揺れていて、地震の音でベランダの物音もすごかったです。この時は、二段ベッドではなく、シングルベッドで横には主人が寝ていました。
 
二人でカバっと起きて、揺れていることを確認し、私はパニックを起こしていました。また阪神淡路大震災の再来かと・・・
 
その時の私の言葉が
「布団!布団被る!!」
 
私がパニックに陥っていることに気がついた主人が私を落ち着かせようと私に覆い被さってきました。そんな時に出た私の言葉が
 
「〇〇(主人)に布団!!布団被って!布団を二人で被るの-!!」
 
と二人でバタバタしていると揺れがおさまったので、急いでスマホを持ってリビングに向かい、テレビをつけると高槻市を震源とした大阪北部地震とテレビ中継がありました。
 
 
高槻市は私の地元。
 
私の両親や5歳年上の姉夫婦と甥っ子、姪っ子が住んでいる場所だったため、皆になにかあったのではないかと心配で心配でたまりませんでした。
 
その後、3歳年上の兄から
 
「生きてるか?」
 
とラインが入って、高槻市に住んでいる両親と姉家族の無事を確認しました。両親といえば、二人とも奇跡に近いことが起こっていて、運が悪ければ、両親共々死んでいた可能性がありました。
 
 
まず父は中継でも流れていた陥没した道路から水が流れていたところを仕事先の通勤道路として使っていて、5分遅く出ていたら、車ごと、あの陥没にはまっていたかもしれないと話していました。父は若いころ、トラックの運転手をしていたことから、68歳になった今でも車を使って通勤することが多く、この日も職場である幼稚園のバスのおっちゃんをするために、あの道路を走っていたそうです。地震が起こったとき、車が揺れたそうで、さすがに怖いから一度止まろうかと思っていたとき、後方からドスンと音がしたそうです。音がしたので、確認すると水浸しの道路があったそうです。危機一髪ですよね。
 
 
母は、大阪まで阪急電車を使っているそうで、ちょうど阪急茨木市駅で通過待ちの電車の中で2人がけのイスに座っていたそうです。ちょうど、そんな時に地震が起こり、電光掲示板が落ちる音、屋根からネジなどが落ちる音、電車がきしむ音が聞こえたそうです。しばらくは電車の中での待機を指示されたようですが、阪急茨木市駅はモノレール同様、道路より上に位置する駅のため、駅から出てくださいと指示があり、仕事に行けなくなり、仕方なく自宅に戻ったそうです。その帰宅も1時間はかかったそうです。タクシー待ちの人が多く、歩いて帰った方が早いと判断したそうです。
 
 
姉家族は、甥が小学校に出た直後で、地震後に甥の生存確認をしたそうです。甥も姪も怖がっているようでした。ただ二人の心に私のような苦い思い出を作って欲しくない・・・。そう願っています。
 
 
私の家は本当になにもなく、食器も割れもせず、ただタンスが動いただけ。
 
主人にも「この家にはタンスがなさすぎる」と言われましたが、阪神淡路大震災を経験している以上、タンスは置きたくないものです。
 
 
私の住むご近所さんは、上からホットプレートが落ちてきて床に傷がついたり、食器という食器はすべて出て足の踏み場がなくなってしまったりしていました。
 
 
そんな地震、人生で2度も大きい地震に遭うことってあるのでしょうか?
 
本当に地震で家族を失いたくはないです。
 
 
私が体験した地震の他に新潟県中越地震もありました。怖かったと思います。
 
 
こんなに地震を体験するのだから、なにかしら持っているのかもしれません。地震で困っている人も今だにいます。そんな人を私に助けることができるのか?今でも自問自答しています。
 
 
あなたはどう思いますか?
 
 
忘れてはいけないことなので、毎年同じ日に繰り返し発信させていただきます。
 
私自身、正直ツラいです。今だに心がえぐられます。けれど忘れてはいけないことなので、毎年、少しずつ編集して発信します。
 
これからの防災に役立ちますように。