本来、【愛】というものは、
ある日にあったものが
次の日にはなくなっている、
というようなものではありません。
愛は、出たり消えたりする
ものではないのです。
私たちの中にずっと
【流れているもの】なの。
「愛が消えた」
「愛が芽生えた」
「もう愛していない」
それは「愛」なんかではなく
ただの「感情」です。
本来の愛とは
そういうものでは
ありません。
・
人々の物語(解釈や判断)思考から
生み出されたものの中には
愛や真理(目覚め)はみつかりません。
思考というのはうまくいけば
真理を指し示すことはできても、
それは真理そのものではありません。
いくら言葉を尽くして真理を
語ったところで、それ自体が
真理ではないのです。
ブッダは、それを
「月を差し示す指は月ではない」
と表現しました。
「あれは月だよ」と指をさす
その指は「月ではない」ということ。
言葉にした時点で
⋅⋅⋅⋅⋅⋅⋅⋅⋅⋅⋅⋅⋅⋅⋅⋅⋅⋅
真理ではなくなります。
⋅⋅⋅⋅⋅⋅⋅⋅⋅⋅⋅⋅⋅⋅⋅⋅⋅⋅
言葉や思考で
真理を表現することは
できたとしても、それは、
真理そのものではないのです。
「頭・思考・言葉」で
わかったつもりになっている
ときも要注意です。
「わかった」という誰かは
誰の声ですか?
【わたし】が言うなら、それは
それは思考や自我、エゴの声で
それは、その時点、真理では
ないということなのです。
なので、わたしたちは
真理ではないものを駆使して、
あらゆる方法を使って、
真理を探ることしか
できないのです🥰
「わたしは在る」
「わたしはあなた」
「ワンネスとはこういうものだ」
さまざまなノンデュアリティ体験、
いわゆる「目覚め」や「覚醒」
とも言える体験をしたときに、
それをあたかも特別なことと
表現しているなら、それは
ただの自我・エゴの声です。
自我・エゴの声が消えた時、
【それはただ、起こるべくして起こった】
という認識のみが
残るだけなのです。
そして、それはすべての人が
いつか気づくことにすぎず、
特別ではないことに気づきます。
その時には「わたし」という
見方がなくなっている。
あるのは、心の平穏の世界。
でもその境地にいくには、
まずは、【課題の分離】や
【物事をフラットに見ていく】
【ジャッジしない】
【私は私、あなたはあなた】
という「見える世界」の
段階を踏んでからなのです。
だからこそ、
【見える世界】と
【見えない世界】の
両方を統合していくような
そんなお話をしているのです。
さて、今夜も瞑想をしてから
眠りにつきます😘
BGMは虫と蛙の声で🥰
今夜はちょっと伝わりにくい
お話でしたでしょうか?
それもそのはず。。本来、言葉で
伝えるものではないのですから。
おやすみなさい。
Good night😘💕
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🪽あたらしい私のはじめかた🪽
🌿自然体の私になったら世界は優しかった
🌿楽らくハッピー実現家
🌿やる気を出さず夢を叶える
🌿見えない世界と見える世界の統合へ
🌿energy・smile・nature
🌿自分がパワースポットになる
🌿豊かな海辺で暮らしています
まきこ
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