多くの人は、
「自分の思考は自分で創っている」
と思いがちだ。
でも、そうでは無い。
わたし達は実は、
「支配された思考で生きている」
わたし自身がソレに初めて氣づいたのは、
母親と縁を切った時だ。
わたしは33才、長男が1才の時だった。
他責で共依存する生き方しかできない母親と、
これ以上関わる必要がないと判断したからだ。
母親には共依存関係を構築している
再婚相手がいたので、
後のことは彼におまかせした。
もちろん再婚相手とわたしの相性は最悪だったのは
言うまでもなく、だ。
わたしは母親という職務を、
彼女に二度と求めないと決めた。
あの時、わたしの母親という存在は、亡くなったのだ。
まあ、理由はどうあれ、
母親と物理的に会うことが無くなったことで、
不思議な感覚を体験した。
全ての思考が自分のモノになったという感覚だ。
母親との共依存関係は、
わたしの思考の上に
「母親の思考という防草シート」をはっていて、
その防草シートがはがれた途端に
わたしだけの思考が、
一氣に芽吹き始めたのだ。
この時からわたしの思考は、
まるで他人になったかのように変わった。
「全てを自分で思考して判断して行動する」
こんな当たり前だと思われていることを、
やっと始められたのだ。
コレが14年前の話だ。
しかし、もっと根深い防草シートが、
まだ残っていた。
それは、「常識」だ。
この常識の防草シートをはがしてくれたのは、
コロナ禍だった。
40才で長女を生んで、しばらくしてからだった。
完全に思考の防草シートがはがれて、
完全に自分の思考だけになると
無くなるものは、
他者との比較
他責の念
自己否定
子育ての不安
未来への不安
孤独の不安
など、実は支配者にすり込まれた
不要なモノばかりだ。
なので、思考が自立することで得るものは大きい。
まず、自分を一番大切に扱うことが出来る。
何があっても
自分に問えば必ず答が見つかるようになる。
知識や情報や人脈を
自分で精査することが出来る。
家計管理の精度が上がる。
子育てが簡単になる。
人生で「大変、辛い、苦しい」と言われるものが、
全てイージーゲームへと変化するのだ。
例えば他の人と
起こっている現象が同じでも、
思考が違えば、
判断が違い、
行動が違うので、
その結果、次に起こる現象が違うものになる。
この積み重ねが分かりやすく現れるのが、
「子育て」だ。
わたしの思考が完全に自立したのは、
長女のホームスクーリングを決意した時。
まだ2年前のことだ。
生んですぐから、
長女は「とても育てにくい子ども」だと思っていた。
だから、
2歳で保育園に預けられた時は、
あぁ、子育てよりも仕事の方が楽でいいや。
この子とわたしにはこれで良かったんだ。
と、思っていた。
しかし、
ソレが大間違いだったとはっきり解ったのは、
長女のホームスクーリングを始めて
しばらくしてからだった。
わたしは1年間夫婦で話し合った結果、
長女は
「小学校へ通わずホームスクーリングで学習」
という選択をした。
理由は、
長男が小2の時、学校システムに疑問が生まれ、
中1で確信に変わったからだ。
学校は支配者に都合の良い「奴隷思考」を育て、
支配者に税金を納める「家畜」を育てる場所だった。
子ども達の多くは、氣づかないうちに
学校システムに支配される。
学校を卒業して、社会へ出荷される時には、
高級取りの奴隷になるか、
薄給の奴隷になるかだけを選ばせてもらえる。
自分達もそうやって育てられて苦しんでいたことに、
夫婦で氣づいてしまったため、
ホームスクーリングを始めることにしたのだ。
そしてホームスクーリングを始めてしばらくして、
長女にとても大きな変化があった。
あんなに情緒不安定だった、
育てにくいとすら思っていた長女が、
ものすごく育てやすい子になったのだ。
その理由はすぐに解った。
「自立した母親が娘を丸ごと受け入れた」からだ。
ここで大切なポイントは、
「わたし自身が
自分という存在を丸ごと受け入れたことで
やっと娘を丸ごと受け入れられた」
というところだ。
わたしが母親と常識から完全に自立するために、
12年かかった。
その間、長男はまだ自立していないわたしに
育てられたことになる。
思えば息子が全てを教えてくれて
学ばせてくれたことで、
やっと完全に自立した自分になれたのだ。
そんな苦労をかけた息子も、
今では15才で社会人だ。
8才離れた妹の変化を、
まるで親のような目線で喜んでくれている。
そこで、
子どもを「育てにくい」と感じている
お母さんへ伝えたいのは、
「子どもに問題は何も無い」
という事実だ。
あと、
占いや統計学で子どもを見ることにも意味が無い。
何故なら占いや統計学が活かせるのは、
自分自身だけなのだから。
タイプが分かれば接し方が分かるから
と言っている人がいるが、
それは占いなどしなくても、
本当はお母さんが見ないふりをしているだけで、
本当は一番解っているはずだろう。
他者の評価を氣にしない、
と口では言っているにも関わらず、
占いや統計学で子どもを見るお母さんは、
自分が「占いや統計学という他者の評価」
を氣にしている事に氣づくといい。
そうすると、
実はお母さん自身が親や常識に
まだ強く支配されていることに
氣づくことが出来るからだ。
子どもは宇宙でたった一人の存在なのだから、
お母さんだけがわが子を丸ごと認めていれば良いのだ。
そうすると、
子どもは愛情で満たされて、
自然と自立した思考になっていくのだから。
ただ、
子どもを丸ごと受け入れるための必須条件がある。
「お母さん自身が父母親の支配から自立していること」
「常識の支配から自立していること」
つまり、
「お母さん自身の自立したオリジナル思考だけで
子どもと向き合うことが出来るかどうか」だ。
何故なら、
お母さんが自分自身を丸ごと受け入れなければ、
子どもを丸ごと受け入れるやり方が解らないからだ。
ゲームは攻略した人だけが、
攻略法を知ることになる。
自分で自分を攻略した経験が無いのに、
子どもにだけ「育てやすくなれ」と求めるのは
親のエゴでしか無い。
なので、
まずはお母さんが自分自身を俯瞰して見て、
自分の課題を見つけて、
課題を攻略していくのが、
楽な子育てへの近道。
大切なわが子の育て方が解らない
と思っているお母さん。
実はお母さんの親の思考で育ててない?
実は常識と他人の思考で育ててない?
あなたのお子さんのお母さんは、あなた。
あなたが育てて良いと許可しよう。
育てるとは、思考を伝えること。
決して子どもを思い通りに支配することでも、
執着することでも、
諦めて手放すことでも無い。
あなたが経験した人生ゲームの攻略法を伝えるだけ。
あとは子どもがその知識と情報をもって、
自分で思考し、経験し、自立していく。
あと、人生ゲームの最重要アイテムは愛。
愛とは?
それは尊敬、尊重、感謝の念を持って
人や物と接すること。
親や常識の支配や執着から離れることで、
自分にも、子どもにも、
愛を伝える方法は見えてくる。
そして、
この愛というアイテムを使いこなした人だけが、
人生ゲームをイージーゲームで楽しめる。
イージーゲームとは、
嫌なこと辛いことが無くなるのではなく、
「イージーゲームに感じられる自分になる」からだ。
嫌とか辛いとかすら、オモシロイ!と思える、
そんな自分になるからだ。
思考と愛の使い方が解ると、
子育てだけじゃなく、
人生ゲームに全く悩まない自分を創ることもできた。
今のわたしは、
そんなイージーゲームな日常を始められたことに、
とても満足してる。
だからここで、色んな攻略法を書き残して、
伝えていきたいと思う。