ある昼下がり、夫とお茶を飲みながら
私の人生を振り返っていた。
次女はもうすぐ4歳。
長女の育児と合わせて8年間母をしてきたことになる。
最近は手がかからなくなってきて
怒涛の乳幼児育てから、一気に落ち着いた現在。
私の過去の経験と夫の希望から、家庭保育を選択し
これまで24時間毎日、一緒に過ごしてきた。
それが今年の春から一人で過ごす時間が増え
今後の生き方を考えるようになった。
そんな話をしていると、夫が
「あなたの人生って誰かに伝える価値がある。
同じ境遇の人、難聴児を育てているパパママ
障がいを抱えながら、これから社会に出る人
そんな時あなたの生き様を知って
頑張ろうって思えるんじゃない?」
私の経験が誰かの力になれば、そんな嬉しいことはない。
物心ついた時から生きづらさを感じ
私は生まれてきて良い存在だったのか
なんの為に生きているのか
生きる意味を悶々と模索する日々。
幼いころは気持ちを表現する力もなく、
難聴だから言葉をほとんど知らなかった。
今思えば、幼少期の頃からずっとそのことについて考えていた。
孤独感や無力感、常に薄暗い影のような
ひとりぼっちの感覚でいた。
でも今は光の差す、明るい世界の中で
満ちた気持ちで過ごしている。
お金持ちとか、すごい学歴や経歴とか
人に自慢できるような特技とか、稼ぐ力も
何もない私だけれど
ごく普通の一般家庭の中で
ごく普通の主婦、母として
ごく普通の日常を過ごしている。
娘たちの成長を見守り、喜び、
時に叱って、感情のままに怒り
夫婦喧嘩や姉妹喧嘩もして
謝って仲直り、
反省と感謝を繰り返しながら
毎日大好きだよと伝え合い、
笑顔の絶えない家族。
ずっとずっと願い続けていた
温かくて穏やかな家族の形。
私の母が口癖のように言っていた
「普通が一番幸せだけと、普通が一番難しい」
普通と言われる健常の身体ではなく
障がいを抱えて生まれた私は
その言葉を聞くたびに
心がチクッとなっていた。
でも、母と同じ母親の立場になって
その言葉の意味がよく分かるようになった。
だから私は今、とてつもなく幸せ。
普通のことが当たり前のことじゃないこと
本当の幸せが何か
これから先
娘たちにも伝えていきたい