私達は、


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食事をする時、

「いただきます」と「ごちそうさま」を言いますよね。


先日、

6歳の女の子に、

「どして?」って尋ねられました。



そもそも日本神話においては、

あらゆる「神」が存在します。


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(これは、神ではなく、亀ですが)


食べものにも当然「神」と「命」が存在し、

その「神」と「命」の引き換えに、

私達は食べものを食べます。


つまり、

「神」と、食べものの「命」を食べているということになります。 


だから、

「神」と「命」である食べものに感謝するのは当然のことです。


結局、私達は、

「命」を食べてるんですから。


また、

食のシーンには、

必ず「人」が登場しますよね。 


食材を生産する「人」

加工・調理する「人」

食べものを運搬する「人」 

お店で食べものを提供する「人」

食べものを購入し、保管し、与える「人」 

…。


こうして、

食べものと食べもの・食べものと人が結ばれ、
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私達の元に食べものがいき渡り、

食べものを食べることができるんです。 


さらに、

その先には、

人と人が結ばれます。


当たり前に食べている食べものですが、

どんな食べものでも、

「命」ある食べものを食べるということは、

とてつもなく大きな意味があり、

幸せなことです。 


だからこそ、

両手を合わせて、

心から「いただきます」と「ごちそうさまでした」を言うわけです。



「いただきます」と「ごちそうさま」は、


素直に、


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「ありがとう」の気持ちを表す言葉です。


その言葉を抱えて、


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今から、福島県相馬郡の小学校に向かいます。


神の山や、おやつも一緒に。