川倉賽の河原地蔵尊 おときゅうで津軽02-04 | シッタカの日々のこと

川倉賽の河原地蔵尊 おときゅうで津軽02-04



さらに北へ、金木の街へ入る。

道沿いのこのスーパーに入ってみた。

野菜とかリンゴとかが珍しい品種とかあったけど、箱売りとかなんで、買うわけにもいかない。赤かぶも一抱えもある袋に入ってたし・・・。

見てて楽しかったけど、見てるだけになってしまった。




芦野公園を横目に見ながら行きます。




川倉賽の河原地蔵尊 https://loco.yahoo.co.jp/place/g-LPbHHGDYw2-/?utm_source=dd_spot&sc_e=sydd_spt_slo_p_ttl&lsbe=1

ここって自前のhpもってないんだな・・・これだけ有名な寺なのに。

山門は、今気づいたけど山王鳥居じゃん。でも両脇には仁王様いるのよ。変わってるよ。

円仁さんの開基の天台宗の寺なんで日枝大社との関係があるのだろうけど、でもなんで??であります。中に山王さんは見なかったんだけどな。神仏習合の昔からそうなんで、そのままなんだろうけど、こういうところが東北は面白い。




境内に入ります。中にも駐車場はありますが、やはり外からの入口から参道を歩くというのは神社仏閣の雰囲気を感じる大切な行為とシッタカは思っています。

円仁さん http://www.tendai.or.jp/daihoue/profile/jikaku.html が迎えてくれました。慈覚大師円仁は天台宗でもっとも有名な人物のひとり、唐から戻ったのちに関東東北を回って多くの霊場を開いたとされます。




参道から右手に広場があって、相撲の土俵と演芸場と書かれた舞台が作られてしました。

昔は、夏の夕涼みのように、夏の宵にここに近在の人たちが集まったと聞きます。

今でもそういう催しがあるのかもしれません。大祭は旧歴6月22~24日にあり、その日はイタコもやってくるそうな。この辺りは恐山と同じです。(春秋彼岸中三日ともパンフには書いてある。)







本堂は新しい造りでした。

お地蔵さまにお詣りします。

ご本尊の背後には供養のためのお地蔵さまがたくさん。







周囲には賽の河原と呼ばれるようです。芦野公園からの遊歩道沿いに多くのお地蔵さまがいらっしゃいます。





こちらは人形堂。



供養のための人形がたくさん。

子供が幼くして亡くなったとき。結婚適齢期になると来世で結婚して幸せになってほしいという願いを込めて、人形を納めます。

人形は対の時もあれば結婚相手だけのときもあるようですが。

ただ、人形を納めるときには架空の名前を付けてやらねばなりません。

知り合いにいない名前をつけるようです。あくまでも子供の嫁なり婿として扱うのです。

これと同じような風習としてムサカリ絵馬という子供の成長して幸せになっている姿を描いた絵を納める風習もあるのですが、今回はみかけませんでした。

あったかもしれませんが、なんというか、これらの人形はやはりジロジロと見るのははばかられるのですよね。いろんな意味でリアルなんですよね。



寺務所でパンフとお札頂きました。御朱印はこの日はご住職不在とのことで書置きなんでご遠慮しました。

角大師のお札はありませんでしたが、降魔大師のお札はありました。

花嫁人形とかもありました。





ここは下北半島の恐山と並んで地蔵信仰と子供を亡くした親が子供の来世での幸せを願う場所としてとても有名なところです。

これは、恐山とも共通するのですが、かといって、悲しみに覆いつくされた暗い淋しい場所ではなくて、なんかあっけらかんとすがすがしい土地でした。

恐山をパワーレススポット、いろいろな業を置いていって身軽にしてくれる場所という人がいますが、ここも似たような感じです。

花嫁人形を納めると、親としてやれるとこはやってあげられたと思う方が多いようです。





夭折した子供についての供養について、最近思うことがあります。

数年前に話題になった「異世界転生ラノベの7割以上を“交通事故で我が子を失った母親”が書いてる」という奴です。



序文「息子へ。」(※すべての異世界ものラノベを読む方は、最初にこの序文をお読みください)

https://ncode.syosetu.com/n8906ed/1/



これを読むと今も昔も日本人のメンタリティは変わってないのだろうなあと思うのです。

子供とか孫とか死んだらシッタカも転生ラノベを書くかもしれません。




つづく