九戸城 九戸城03
神社からさらに石段を上ると九戸城の松の丸。
山の上がひろびろとした広場になっていました。地元の人がゲートボールしてたけど、若い子も混じってたよ。
松の丸から尾根伝いに行くと、一回下って城の中核部に着きます。
こんな説明版が要所要所に設置されていてわかりやすい。
九戸城は石垣がなく、こういうふうにむき出しの土の崖によって守られた城でした。
これがほぼ垂直でしかも、手がかりがない、あってもぼろっと崩れるというやっかいな城壁。
城跡は公園のように整備されていて気持ち良く散策できました。
まあ、城の構造とかについては詳しくないんで、なんとなくほうほうとうなづきながら散策するばかりなのですけどね。
九戸城は江戸初期には廃城になってしまったのですね。
風化、堆積してるはずなんで、堀はもっと深く、城壁はもっと切り立って急な角度でそそり立っていたと思われます。
川に面した方の崖の上から見るとこれが矢鱈と高い。
登れないだろこっちからはという感じ。
本丸と二の丸の間の堀は石垣がありますが、これは落城したあと蒲生氏郷によって改築されたときに作られたそうです。
なかなか気持ち良い散策でした。
九戸城は戦国最後の戦が行われたとされる場所です。
この城の領主だった九戸政実は、南部氏の有力家臣だったのですが、南部氏の当主の急逝にともなう跡目争いに不満があったのか??津軽氏のように独立したかったのか??九戸氏側の資料がまったくない(意図的に破棄されたらしい)ので不明なんですが、南部氏と対立してしまうことになり、九戸側が優勢だったために南部氏が秀吉に泣きついて鎮圧を要請したということらしいです。
もう、前年に北条氏は滅んでいて日本全国秀吉に反抗する大名もいなくなってるのに、九戸政実はただ一人、反抗することになってしまったらしいす。
どうしてそうなった??田舎大名の夜郎自大というわけではないとは思いますが。このあたりは不明らしい。
九戸氏側5千、討伐軍6万と言われます。九戸城に籠った九戸政実は猛攻に耐えてみせるのですが、攻撃側の開場すれば城兵の命は助けるという申し出を受けて降伏します。
しかし、約束は守られず九戸氏側の籠城したものは女子供を含めて、皆殺しにあったといいます。
近年、発掘調査に伴ってそういう遺体もでてくるのだそうな。
落城の後、九戸城は蒲生氏郷により改修され福岡城と名を変えて南部氏の本拠地となりますが、すぐに盛岡へと本拠地を移転してしまい廃城となりました。
今でも福岡という地名は残りますが、地元の人はこの城を福岡城とは呼ばずに九戸城と呼んでいるのです。
三の丸には資料館兼休憩所。ここでパンフレットもらいました。
そして、ちょっとはしゃいでみたよ。
つづく
























