母が亡くなった。
特段、特別なことではないのかもしれない。
世の中には、両親をまたは両親のどちらかを亡くされている人は大勢いると思う。
しかし、私は息子たちへ知らせたい。
おばあちゃんがどれだけ孫のことを思っていたかを。
母のことを残しておこうと思ったのは、息子の一言から。
「おばあちゃんには怒られたイメージしかないな。」
長男が生まれたときは、予定日より20日ほど早く生まれたので、
母は付き添っていなかった。
私は九州のある島の出身で、両親はその島に住んでいた。
母は孫誕生の知らせを聞き、お産の介抱のために東京まで遠路はるばる来てくれた。
私はもちろん初めての出産で、母に頼りっぱなしだった。
一人目ということもあり、オムツは紙オムツはよくない、布じゃないとなんていろんな育児書を読み漁って母に汚れた布オムツを洗ってもらっていた。
よく覚えているのは、オムツ替えのとき、息子の“たまたま”に日差しが当たり、イカの身体の色が変わるように、“たまたま”の色がシュルシュルと色んな色に変わっていたこと。
母と二人で「すごいね~」なんて言いながらしばし眺めていた。
息子が泣き止まなければ、母はおんぶしてあやしたり、外へ連れて行ったりしていた。
食事の時は、自分はササっと食べ終えて、息子に食事をあげるのを代わってくれたり、遊び相手になったりし、私に早く食事をさせようとしてくれた。
メロンが穫とれる季節には毎年段ボール1箱、ついには2箱も送ってくれるようになった。
宅急便を送って喜ばせたい一心で、しょっちゅう宅急便を送ってきてくれた。
その中にはいつも息子たちにお小遣いを入れてくれた。たくさんあげると癖になるから1000円にしてとお願いしたことがある。
孫たちが生まれると6人の孫たちの学資保険に入ってくれた。
クリスマスやこどもの日など子供の行事にもプレゼントやお小遣いを送ってくれた。
私が離婚したので心配していたのだろう、米や食料のほか、息子たちの衣服もよく送ってもらった。
子供の成長は早く、すぐに衣類が小さくなり買い替えが必要なので、これは大変助かった。
サイズはどれくらい?なんて言いながら、そそくさと衣料品店に行き買い求め、すぐに送ってくれた。
電話をすれば、いつも息子たちのことを案じていた。
田舎で娯楽もなく、父と二人の生活で、考えることといえば子供と孫のことだけだったのかもしれない。
息子が言うように、母は厳しかったと思う。
勉学に対して厳しいことはなかったが、生活態度や躾など、そういう面で厳しかった。
悪いことは悪いこととして孫にも怒っていた。孫を猫かわいがりするようなことはなかったが私は孫に対する愛情を十分感じていた。
それをちゃんと息子に伝えられなかったのは私が悪いと思っている。
だから、今ここで伝えたい。
おばあちゃんが怒っていたのは、あなたたちを愛していたから。
誰よりもあなたたちのことを心配していたし、思っていたよ。
今は空からあなたたちを見守っているよ!