うちの地域、ついに梅雨入りしまして、
昨日は大雨が危惧されてましたが大したことなく、
わりと穏やかな雨模様でした。
紫陽花が美しい、趣深い梅雨入りです。
最近はやたら刺激強めの情報を集めたり発信したりしてせわしない感じで、
やっぱり太陽双子座期間の影響受けてるなあと思っていましたが、
夏至の日から太陽蟹座期間に入ったためか、
情報にコミット(←今風言葉を使ってみる)したい欲も落ち着いて来た感じです。
梅雨入りも相まって、心もしっとり落ち着いてきたのかもしれません。
・・・そもそも、怖い情報を集め「未来」にビビる、
ってこと自体飽きてきたのかも。
「今」の趣深さを味わう、ってのは、
この梅雨時期古来から多くなされてきたことであり、
その意識に共鳴しているのかもしれませんね。
さて、都知事選も始まり、金融も怪しい感じになっており、
いよいよ「激動」が誰の目にも明らかになってきそうな今日この頃、
「グレートリセット」だの「ネサラゲサラ」だのいろいろありますが、
この辺でちょっと根本的に考えてみるべえと思い書いています。
以前の記事で、
これからは全てのことが「自然に還る」と思う、
って書いてましたが、
「不自然」ってどういうことかというと、
人工的な「化学物質」まみれ、ってことです。
人体も自然も物質も。
プラスチック製品、農薬や薬、食ベ物や水その他もろもろ・・・。
人工的な化学物質がなぜいけないのかというと、
「自然に還らない」からです。
つまり、微生物によって分解されにくい。
いつまでも残って蓄積されてしまう。
自然にも、体内にも。
(体内からは排出されるものもあるかと思いますが)
薬以外の栄養食品やサプリメントでも、
それがどんなに効果が素晴らしいと言われていたとしても、
人工的に合成された化学物質を原料としている限り、
分解されずに体内に蓄積される可能性を持っています。
その蓄積が臓器に負担にならないとは限りません。
「分解されない」「自然に還らない」ということは、
「循環しない」ということ。
生まれ、変化(成長)し、朽ち果てて土に還る。そして他の命の一部になる。
この「循環」が自然の摂理であり、
循環せずいつまでも残り続けるものは、この摂理から大きく外れています。
そのようなものをいつまでも生み出し続けていけるわけがない。
グレートリセットやゲサラが起きなくとも、
このような文明はいつか終わらせられるのが、
それこそ、自然の摂理なのだと思います。
循環しないということは「死なない」とうこと。
人間は「死なない」物質を多量に作りずぎた。
死なないと言えば、「ゾンビ」。
ゾンビ化ワクチンとも言われるレプリコンワクチン。
本当にゾンビ化するのかは分かりませんが、
「死なない」つまり「永遠なるもの」を作りたいという欲望を、
人間はそもそも持っている。
「決して変わらない」「永遠なるもの」に、守られたい。
それを拠り所としたい、というのは、人間の切ない業なのかもしれません。
そういえば人間は昔から、自分自身「死なない」つまり、
「永遠の命」「不老不死」なるものを追い求めていましたものね。
いつか来る自分の「死」を受け入れられなければ、
いつまでも「死なない」つまり「変化しない、永遠である」モノを作り続け、
追求し続け、地球を汚し続けることになりかねない。
「死」や「変化(老化?)」を受け入れることが、
人が「自然に還る」ための大事な要素なのかなと思います。
…そもそも日本人は昔から、「諸行無常」という概念がありますし、
季節の「変化」に美を感じる心がありますね。
そういう心を大事にすればいいのかなと思います。
それではまた。