前回の記事を書いてみて思ったのは、

 

私は、

 

「自分を大切にしなきゃいけない」ってことに、

 

ものすごいプレッシャーを感じていたんだな、

 

ということと、

 

 

自分の命(体)を大切にすることはもちろん大事だが、

 

私は、

 

もっと、自分の心を大事にしたかった、

 

大事にしてほしかった、

 

ということ。

 

 

多分、育ってくる中で家族は私に、

 

「とにかく元気でいてほしい、生きていてほしい」

 

と、ものすごく願ってくれていたしそれはありがたいけど、

 

 

私の心のほうにはあまりフォーカスされなかったんだと思います。

 

 

いえ、多分普通程度にはしてくれたんだけど、

 

私があまりにも心にばかりエネルギーが行ってしまうタイプで、

 

その私の必要量には足りていなかった、ってことなんでしょう。

 

 

 

心っていうのは、占星術で「月」を指しますので、

 

それがつまり、

 

私の「月の欠損」を表しているのだと思います。

 

 

月の欠損は、

 

自分の持っている元々の月の性質と、

 

生育環境から与えられるものとの兼ね合い。

 

 

tamakai先生によれば、月の欠損とは、

 

「幼い頃親に愛されようとして、

 

大人に合わせるために排除してしまった自分の一部」

 

ということですから、

 

 

親の性質と自分の月との相性で、

 

欠損の程度が決まって来るのです。

 

 

 

私の月は、12ハウス双子座にあるので、

 

「魂の次元において、好奇心を働かせ、

 

言葉による対等なコミュニケーションを行う」

 

ということを排除してしまった、諦めてしまったと思われます。

 

 

そういえば私は保育園の頃、

 

いろんなことについて「どうして」「どうして」と聞きまくり、

 

先生に大変な思いをさせていたようです。

 

 

ちなみに「魂の次元」とは、

 

いわゆるスピリチュアル的なこと、でもそれは、

 

霊とか霊能力とか宇宙人とかの、いかにもオカルトっぽいことではなく、

 

どちらかというと、

 

哲学に近い、物事の本質とか、生きる上で大切なこと・生き方という意味です。

 

 

でも、大人同士でさえそんなことを伝え合うのは難しいのに、

 

ましてや子供相手なんてできなくて当然かとも思われますので、

 

 

例えどんな大人に育てられたとしても、

 

私の月は、欠損しやすかったのかな、と思います。

 

 

しかも、インターセプトされてるから、

 

月の状態を自分で自覚しにくかったでしょうしね。

 

 

 

まあこんなわけで私は、

 

スピリチュアル的な対話に対する欠損、満たされない心を抱えたまま、

 

幼少時以降から今まで生きてきたわけです。

 

 

なので、

 

「もっと私の心を大事にしてほしかった」と願うその、

 

「大事」の意味とは、

 

 

「物事の本質や生き方について語り合いたい。

 

そうすることで、私の心を理解して大事にしてほしい。」

 

ということなんだと思います。

 

 

一口に「私の心を大事にして」と言っても、

 

人により、中身は様々なんでしょうね。

 

 

それが、それぞれの月の性質なんでしょう。

 

 

 

常に、人とのスピリチュアルな対話に飢えている私の心。

 

 

その心を満たすべく、

 

ブログを書くことで、自分の心と対話しているのです。

 

 

 

そういえば私が、

 

簡単な言葉で、生きる上での大切なことを伝えてくれる、

 

童話や絵本が好きなのも、

 

この月の欠損に起因しているのかもしれませんね。

 

 

幼少時の自分に向けて、

 

語りかけてあげられるような言葉を、

 

求めているのかもしれません。

 

 

そんな素敵な作品に、

 

また出会えたらいいなと思います。

 

 

 

 

 

それではまた。