前回の記事でね、

 

「あらゆるネガティブ感情の奥には、

 

「悲しみ」の感情があると思う」

 

って書きましたが、

 

 

悲しみってつまり、

 

「自分が期待したものが得られないつらさ」

 

ですよね。

 

 

(「もの」っていうのは、

 

物でも、物事でも、人の反応でも、人の気持ちでも何でもです)

 

 

喪失による悲しみも、そういうことです。

 

 

悲しみの裏には、

 

自分の求めるもの、欲しいもの、

 

が、必ずあるわけです。

 

 

だから、悲しみを感じ切れば、

 

おのずと自分が欲しかったものが分かって来る。

 

 

 

私の場合、最近、

 

もう一人の自分を意識しながらネガティブ感情に浸っているんですが、

 

 

その、もう一人の自分が、

 

初めは寄り添っててくれるんですが、

 

やがて私に話しかけてくるんですよ。

 

 

「なんでそんなに悲しいんだろうね」

 

「何がそんなに嫌だったんだろうね」

 

「じゃあ、どんなふうだったら良かったんだろう」

 

「どうなふうにしてほしかったんだろう」

 

 

こんなふうに聞かれると、

 

「私ほんとはこうしてもらいたかったんだ」

 

「こんなことを求めてたんだ」

 

 

って分かって来るんですよ。

 

 

悲しみを通じて、

 

自分の望みが分かる。

 

 

自分の望みが分かると、

 

かなり心が落ち着きます。

 

 

ふっと癒されるような感覚を得られます。

 

 

この段階まで来ると、

 

かなり心が楽になると思います。

 

 

 

私が行き着いた私が望むもののパターンはほぼこれだけ。

 

「私の気持ち、私の想いを、

 

理解して欲しい。大事にして欲しい。」

 

 

いろんな原因で悲しんでいるように感じますが、

 

行きつくところはいつもここ、な気がします。

 

 

 

そしてね

 

何かで読んだんですが、

 

 

「自分が相手に望むこと」

 

 

「自分が自分自身に望むこと」

 

なんですって。

 

 

つまり私は、

 

自分に対して、

 

「ちゃんと気持ちや想いを分かって。大事にして。」

 

って望んでるんですよ。

 

 

自分が思う以上に、

 

私は私の気持ちをなおざりにしていたのかもしれません。

 

 

まあ、以前の記事にも書きましたが、

 

そもそも水瓶座21度は、そういう性質を持ってますし、

 

12ハウスの月は、人の気持ちと混じりやすいから、

 

自分の気持ちが分からなくなりやすいんだと思います。

 

 

つまり、元々の性質上、

 

自分の気持ちを大事にする力が弱いんですよね。

 

 

でも、そういう根拠とはまた別に、

 

なぜか私、

 

最終的に、自分の気持ちをないがしろにしちゃう自分がいるんです。

 

 

自分の気持ち、というか、

 

自分全て、心も体も。

 

 

これは前の記事に書いた、

 

私の持つカルマ的なもの、

 

「なんでこんなものが自分の中にあるんだろう?」

 

っていうものとも関係するんですけど。

 

 

それもあって私は、

 

「自分ではなかなか自分を大切にできないから、

 

人から大切にされたい」

 

って思っちゃうみたいなんです。

 


その、カルマ的なものについてはまた改めて、

 

考えていきたいと思うのですが、

 

 

とにかく私は、

 

結局は自分をないがしろにしてしまう、

 

だから、

 

自分を大切にするために、人に力を借りたい、

 

つまり、

 

自分の心を満たすために、人の助けが必要、

 

 

ってことで、

 

スピリチュアルで言われる、

 

「自分の心は自分で満たせる」

 

ってことが、できる気がしないんです。

 

 

 

・・・なんか自分ってそんなに規格外なのかなあ。

 

魂のブループリント、やっぱり間違ってたんかな。

 

 

…謎です。

 

この謎を、これから解いていけるといいな、と思います。

 

 

取り敢えず今は、

 

感情を感じ切ることと、

 

自分を見つめるもう一人の自分を意識すること、

 

を、続けていこうと思います。

 

 

 

 

それではまた。