連休真っ只中の今日、そして、

 

まさに行楽日和、というお日柄の中、

 

まさにスピリチュアルど真ん中のようなことを、

 

一人、つらつら思いふけっている私です。

 

 

(ああ、マイノリティ!)

 

 

 

今日はね、前から言ってた、

 

記憶とシンクロニシティとアカシックレコードの関係、について

 

書いてみようと思います。

 

 

 

以前の記事で、

 

「これからは、「記憶」を頼りに現実に対処していく時代ではない。

 

「シンクロニシティ」で生きていける時代。

 

だから、大事と言われていることを忘れちゃっても大丈夫。」

 

という、スピ系のかたの言葉をご紹介しました。

 

(ちなみに彼女は、

 

「アカシックリーディング」によりこの情報を得ています)

 

 

このことを踏まえたうえで今日ご紹介したいのは、
 

「記憶とは何ぞや?」ってことについての、

 

アシュタールの言葉です。
 

 

「記憶は脳の中にあるのではない。

 

あなたの記憶はすべて、絶対無限の存在が共有する。

 

 

脳の中に記憶が蓄積されるのではなく、

 

絶対無限の存在の意識として融合される。

 

 

この融合された記憶は、全ての人と共有できるので、

 

他の人の記憶を自分の記憶として見ることは可能。

 

それが、アカシックレコードとよばれるものである。

 

 

記憶を覚えている、思い出す、ということは、

 

自分がアカシックレコードにある自分の情報に

 

アクセスできるということ。

 

 

そして、アクセス出来るのは脳だけではなく、

 

身体の細胞一つ一つも、である。」

 

 

 

・・・ね。

 

そもそも人は、記憶(情報)を思い出す時は、

 

自分の脳に、ではなく、

 

脳を(あるいは体の細胞)道具として使って、

 

アカシックレコードに、アクセスしているんです。

 

 

だから、

 

自分が、その情報を使う必要がある時にだけ、

 

アカシックレコードにアクセスできればいいわけであって、

 

大事なことだからと、

 

常に自分の脳でその情報を保持する(無理に覚えていようとする)

 

必要はない。

 

 

「覚えていよう」「忘れないようにしよう」ということよりむしろ、

 

必要時、アカシックレコードにアクセスできる力が重要なのです。

 

 

 

きっとこれからの時代は、

 

皆がアカシックレコードに繋がりやすい、アクセスしやすい

 

時代になっていくんだと思います。

 

 

 

そして、

 

アカシックレコードにアクセスして、

 

他の人の情報に触れることを、

 

「シンクロニシティ」というのではないでしょうか。

 

 

今までシンクロというと、

 

個人間で直接エネルギーの共鳴を起こしているようなイメージでしたが、

 

前回の「チャネリング」の記事でも書いたように、

 

 

一旦、アカシックレコードに共有された情報に、

 

個人個人がアクセスして共鳴することを、

 

「シンクロニシティ」と呼ぶのではないかと思います。

 

 

つまり、

 

「シンクロニシティの時代」とは、

 

「皆がさくっとアカシックリーディングできる時代」

 

と言えるのではないでしょうか。

 

 

必要時、シンクロつまりアカシックリーディングして、

 

現実に対処できる。

 

 

或いは、共鳴してエネルギーを増幅させることで、

 

更に豊かな現実を作れる。

 

 

 

ここでまた着目してほしいのは、

 

「シンクロ」にしろ「チャネリング」にしろ、

 

情報は個人間の直接の伝達ではなく、

 

必ずアカシックレコードで共有される、

 

ということです。

 

(前回は「インターネット」に例えましたが)

 

 

つまり、その情報は、その二人だけでなく、

 

本当は他の誰もが閲覧可能なのです。

 


更に、私は以前の記事で、

 

「テレパシー」もシンクロニシティと同じもの、

 

的なことを書きましたが、

 

 

そう考えるとテレパシーも、

 

直接二人の間だけに起こっている情報のやり取りではなく、

 

実は誰でも受け取れるものなのです。


 

ただ、

 

その情報を得るためには、

 

「知りたい、アクセスしたい」

 

という強い想いが必要なので、

 

実際は二人の間だけに起こっている現象になるのだと思います。

 

 

 

 

・・・なんだか私いろんな情報をいっきに書いてしまいましたが、

 

つまり、これからは、

 

 

「個人個人の内面的なことを隠しておけなくなる。

 

でも、

 

それらを皆で共有することで、無意識のうちに助け合うことができる。

 

 

更に、強い想いさえあれば、

 

シンクロもテレパシーもチャネリングも思いのまま」

 

 

という、

 

 

「博愛」の水瓶座と、

 

「共鳴」の蠍座の、いいとこ取り、

 

 

みたいな時代が来る(もう来ている)のではないでしょうか。

(星座のくだりは多少、私に都合のいい解釈?)

 

 

 

 

・・・なんか書いてて、今日は、

 

すごく疲れた。

 

 

私も「アカシックリーディング」しながら、

 

書いていたのかもしれません。

 

 

・・・なんてね。

 

 

 

ちょっと、心を休めるために、

 

私のお気に入りあなぐら(マイカー)に

 

籠ろうかな。

 

 

・・・この「あなぐら的空間好き」は、

 

誰の前世の記憶なんだろう?

 

 

 

 

それではまた。