最近、ブログの書き出しが、
「お天気」
ばかりですみませんが、
今日も書かずにはいられない、
魅力的な天気。
優しい雪が、
夢のような速度で降っている・・・。
風は全くないから、
動かない空気の中、
時も止まっちゃってるみたいで、
本当に「夢の中」みたい。
この時空に、
永遠に閉じ込められそう。
・・・なんだか、閉じ込められてもいいような気がしてくる。
私はここにいるから、
ここからもう出なくてもいいから、
どうぞ皆さん幸せになって。
(とんだ現実逃避?)
「偽善だ」って思われるかもしれないけど、
「世界中のみんなが幸せになれるなら、
自分は今すぐ消えてなくなってもいい」
って気持ちは常にあるんです。
(別に宗教的な気持ちではありません)
水瓶座のキーワードは、
「I know」
「私は知っている」
なんですけど、
これは、
「生まれた時から、真実とは、大事なこととは何かを知っている。
人生とはその答え合わせをするためのもの。」
って意味なんです。
このことは、私はものすごくしっくりきます。
常に心のどこかでは「わかってる」
「でも、うまくできない。うまく行かない」
ってことが、あまりにも多すぎる。
だからもう投げ出したくなって、
「もう、わかってるからいいよ」
「本当はすべての存在を平等に愛してるし受容できる」
「でも自分を表現できないから、自分だけは受容してもらえない」
「だから寂しくてわかってくれる人を求めちゃう」
「そんな自分がめんどくさい」
そして、
「めんどくさすぎてもう一ミリも動きたくないから、
自分がいなくなることで皆が幸せになれるなら、
もうそれでいい。」
って思っちゃうんです。
(そもそもの思考が「生贄」的)
私は、自分が人のことをありのまま受容できるのがわかるから、
本当は他の人も誰だってそれができるのを知っている。
だから、本当は私を受容してくれる人が、
この世界にちゃんといるのも知っている。
でも、現実をどうやってそのように持っていったらいいか、
わからない。
それを学んでいくのが、
体を持って生まれてきた意味なんだろうとは思う。
そして、そのことを感覚的に知っているのと、
体験して実感するのとでは全然違う。
体験することでまた新たに気づくことがあるんだろうな、
ってこともわかるんです。
でも、
自分にとってはそれがあまりにもあまりにも遠く、
異世界の出来事のように思える。
この世界ではもう自分はここまで、
これが限界なんじゃないかな、
って思えてくる。
だからこんな、
時が止まったような、
夢の中にいるようなお天気の日は、
自分の奥底の本心とぴったりシンクロしてしまい、
自分一人だけの世界、
でもとても静かで優しいこんな世界に、
永遠に取り残されるような気がします。
取り残されてもいい気がします。
ここに一人でいるのは、
とんでもなく寂しいかもしれないけど、
果てしなく続く人生のつらさに耐えるよりは、
ずっといい。
生きて、
自分だけが受容されないまま、
いろんな人のつらさを受容し続けるのなら、
自分一人だけの寂しさを感じ続けていくほうが、
多分、楽。
・・・と、
ネガの極致?みたいなことを考えながら、
今思いついたんだけど、
「心」だけはそんな風に持っていけるかもしれない。
つまり、
この、寂しくも美しい今の雪模様を、
いつも心に保存しておいて、
その中に自分の奥底の本心を閉じ込めておこう。
この寂しい場所が、自分の本心の居場所なんだと。
自分はここがいいし、ここが落ち着くんだと。
もう、ここから出て何かを求めたりしなくてもいい。
ここにいて、この場所からみんなの幸せを願ってればいい。
・・・って、
これはもう、天国にいる人の心境ですね。
こんな思いがリアリティを持ってしまうくらい、
今日の天気は心に染み入る。
「いと、あはれなり」
って感じです。
でもやっぱり、
一緒にこの景色の美しさを味わってくれる人がいたらいいなあ。
だって、一人で味わうのもったいないくらい、綺麗だもん。
(結局そこに落ち着くのね。)
それではまた。