前回の記事を書いてみて思いました。

 

自分って、人が抑圧している感情にわざわざ共感して、勝手につらくなって。

 

これって、エネルギーの無駄じゃね?

 

私が共感することでその人何か得あんの?

 

 

その時ふと思いました。

 

そういえば「観察者効果」ってあったよな。

 

「観察することでエネルギーを与えている」

 

 

その人が「ないことにした感情」を、私が感じるつまり「観察する」ことで、その感情にエネルギーを与えている?

 

つまり無意識に押しやってしまった「抑圧した感情」を、「意識化」させやすくしている?

 

 

こんなことを思いながらいつも通りtakmakai先生のブログを見たら、「排除してしまった自分の一部と、コミュニケーションを取り育てていく」大切さについて書かれていました。

 

 

「排除した自分の一部」って「抑圧した感情」と同じようなことかな?

 

なんかまたシンクロ?

 

 

排除した自分とコミュニケーションを取ることで、良い出会いにつながるのだそうです。

 

とすると、「抑圧した感情」を意識化するのは大事なことですよね。

 

 

じゃあまあ、私がやっていたことも、相手の役に少しは立っていたのかしら。

 

目に見える現実的な費用対効果はゼロでも、目に見えない効果はあったのかも?

 

 

では、相手のために役に立ったとして、自分にとってはどうだろう?

 

ただエネルギーを消耗するだけのこと?

 

 

自分としてはもう何年も同じことを繰り返していて「不毛感」「ハムスター感」すごいんですけど。

 

まあ、そのつらい日々の中で、シロップやかまってちゃんと出会えたといえばそうなんですが。

 

 

つらい日々あってこそ、素晴らしい芸術と出会えるってことですね。

 

 

そう思ったら、つらい日々に感謝!だわ。

 

 

でもさすがにもう潮時かなあ。この繰り返しは。

 

「モモ」のように「共鳴」し合える、響き合えるのがいいなあ。

 

エネルギーを互いに増幅し合えるのがね。

 

 

tanmakai先生もおっしゃるように、12ハウスの月は、「環境を選ぶことが大事」なんだと思います。つくづく。

 

 

そろっと、「選ぶ」準備をしよう。

 

 

・・・と、この記事を書いてる途中でパソコンちゃんの調子が怪しく。

 

実家デーだったので、実家で書き上げました。

 

もしかしたら、しばらくアップできないかも?

 

 

その間、いろいろ準備してみようと思います。

 

 

 

それではまた。