前回ね、「数秘術」についての記事を書いてみて「占星術」と「数秘術」の違いは何かな、って思ったんですよ。
それはね、「月」を考慮に入れているかいないかかなと思ったの。
占星術は「生まれた時間」も大事な要素なんです。数秘術は「生年月日」のみですからね。
そしてそれによって変わってくるのが「月の位置」なのです。
占星術的に月は「感情」と共に、「欠落」を意味します。
その人にとって欠けている、足りない部分であり、情緒的に満たされるために常に補い続けなければいけない要素です。
「十分満たされた、もう補わなくていい」ということはないのだそうです。
つまり「数秘術」では、その「欠落」部分は「小さいもの」としてあまり重要視されていないのかな、と思いました。
そんなことを思いながらいつも通りtamakai先生のブログをチェックしたところ、なんと昨日の記事に「恋人やパートナーとの月星座の関係」について書かれてありました。
なんてタイムリー・・・。
これも「シンクロ」なの?(もちろん私がtamakai先生に、です。)
まず、「月星座」についての説明ですが、
「月星座」とは「幼い頃に親(或いは周囲の大人)に愛されようとして、大人に合わせるために排除してしまった自分の一部」です。(めっちゃわかりやすくないですか?)
つまり、「情緒的な満足を得ようとして、失った自分の一部」です。
ということは、「もともと持っていたもの」なのです。
だから「失った」というより「抑圧してしまった」という方がピンと来る気がします。
そしてもっと言うと、「もともと持っていた」というのもただ「普通程度に持っていた」のではなく、「結構突出して持っていた」のではないでしょうか。
だって「大人に合わせるために排除した」って、まだ「子供が」ですよ。
普通レベルにしか持っていないんだったら「排除」までする必要あるのかな。
「出る杭は打たれる」のを本能的に避けたんじゃないかと思うのです。
いや、ちょっと違うな。
その特徴をどのレベルで持っているかはその子それぞれで、合わせるべき親のレベルも親それぞれなのかも。
だから、親子のレベルに差があれば、子供がよりその特徴を抑圧しなければならないし、差が少なければ抑圧は少なくて済む。
ああ、それがtamakai先生のおっしゃる「周囲の大人の情緒的なクオリティでいくらでも変わる」ということか。
ということは、「月星座」って「もともとその特徴をどれくらい持っていたか」は人それぞれ、「どれくらい抑圧したか」も人それぞれ、なんだと思います。
つまり、結構「未知数」の部分ではないでしょうか。
自分がどれくらいその要素を求めるか、どれだけ切実かで、やっと自分の「欠落」具合が分かるのだと思います。
私について言えば、私の月星座は「双子座」です。
(12ハウスにあって、さらにインターセプトされている、という独特さがありますが)
私は自分の月星座の欠落ぶりが結構大きい気がするのです。
「人と理解し合うことで情緒的に満たされたい」気持ちがあまりに強いからです。
自分の気持ちが分かってもらえない事への傷つき方は、尋常ではない気がします。
また、「ザ・双子座の人」のようなsyrup16gの五十嵐さんの作品をあんなにも求めるのも(だって「この世で一番好きなもの」が、彼が作った「曲」ですよ)、自分の欠落ぶりを実感します。
tamakai先生は、パートナーとの月星座の関係について「情緒的に不安定であればあるほど同じ月星座の方が共感しやすい」と言われます。
また、「一緒に暮らすのであれば、非言語的なコミュニケーションが生きる月星座の相性が良い方が良い」とも言われます。
よって、月星座の欠落が大きいと思われる私は、月星座が同じ双子座の方か、風星座の方と相性が良い、ということになります。
前回の「数秘術」では、私に必要な人は「私を無条件で受け入れ、本音を見せて共に泣いてくれる人。いつも戦闘モードの私を癒し支えてくれる人」でした。
そして今回は「情緒的に満たし合える(共感し合える)月星座が双子座か、他の風星座の人」。
どんどん絞られてますが、私の持つイメージには近づいている気がします。
でもなんかそのイメージ、自分自身が「そうなりたい」「目指したい」状態って感じがする・・・。
自分がなりたい状態と、求めるパートナーって同じなのか・・・。
面白いですね。
占星術には、もちろん月星座だけではなくたくさんの要素がありますので、また分かったことがあったら、記事にしていきますね。
それではまた。