昨夜はすっかり「KANさんモード」になり、懐かしい曲を聴きまくってしまいました。
おかげで寝不足・・・。
でも意外と元気です。「エモい」曲効果で熟睡できたらしい。
「エモい」と言えば、私はもうお一方、「エモさ」の塊のような方にはまったことがあるのです。
(なんか最近どんどん出てくるね。)
「神聖かまってちゃん」の「の子さん」です。
の子さんとの出会いは、立ち読みしようと手に取った音楽雑誌の表紙でした。
の子さんは、ロングヘアの三つ編み(おそらくカツラ?)というヘアスタイルで、まっすぐな目をしてこちらを見ていました。
男性ということは分かりましたが、それ以前に何というか、の子さんの持つ雰囲気・オーラみたいなものがすごく「浮いている」そして「惹きつけられる」でも「関わるのはためらわれる」という、感じたことのないような気持ちになりました。
多分自分の中にシンクロするものがあったのだろうけど、自分でも自分の気持ちを自覚するのが怖かったのだと思います。
結局私はかまってちゃんをチェックすることもないまま年月が経ちました。
次なるの子さんとのご縁は、保健師として従事した3歳児健診の場でした。
私が問診を取った可愛い女の子の名前が、なんと「の子」ちゃんだったのです。
お母様に「かまってちゃんですね」と言ったら「初めて気づかれました」と驚かれていました。
お母様が大ファンで、の子ちゃんもかまってちゃんの曲がお気に入りなのだそう。
このような「伏線」的な出来事がありつつ、またもやかまってちゃんには触れないまま時が過ぎました。
そしてついに、私がかまってちゃんとちゃんと「出会う」時が来ました。
動画で何かの曲を聴いていたのですが、その関連動画でかまってちゃんの「死にたい季節」が出ていたのです。
もう、こんな斬新な曲名・・・。
しかも心の隅にずっと気になっていた「かまってちゃん」・・・。
聴くしかないじゃないですか。
・・・素晴らしかったです。
曲名に全然負けていない歌詞。
ワードセンスが素晴らしく、特別な言葉を使っているわけではないのに、はっきりした個性の輪郭、オリジナリティがあります。
シロップの五十嵐さんに共通するような何か。
曲の方は、詞の内容と対照的で、とても美しく切ないメロディです。
私がずっと心の底に眠らせていた「かまってちゃん」。
こんな存在だったとは・・・。
私は丁度その頃、子供のことで精神的な葛藤を抱えていた時期だったので、この曲の、
「あきらめてると僕らは なぜか少し 生きやすくなる」がすごく胸に染みました。
また、誰の前でもネガティブな自分や弱い自分を見せられなかった私は、「ああ 僕は早く死にたい」と歌ってくれるの子さんに、とても救われたのです。
かまってちゃんにやられた私は、他の曲もいくつか聴いてみました。
その中で特に強烈に惹かれたのが「グロい花」です。
ものすごい曲でした。
なんという「エモさ」だろう。
強い強い悲しみ、全てのネガティブを凝縮したような世界でした。
それでいてとても「美しい」のです。
の子さんの声も素晴らしく、とてもとてもピュアで切実で「永遠の少年」のような響きがあります。
こんな世界を生み出すの子さん、そしてこの曲を必要とするファンの方々の内面には、どれだけ深い悲しみがあるのだろう、と胸がきゅーんとなりました。
それ以来私は、自分がこの曲を必要とする時は、それだけ自分が深く傷ついているんだな、ということを自覚するようになりました。
今の私は、あれほどまでの世界を必要とするような深い傷を負うことはなくなりました。
でももしこれから、前の記事にも書いたように「赤いカラス」としての自分を表に出しながら生きて行くようになれば、「グロい花」の世界で癒されることを求めるようになるかもしれないと思いました。
「深い傷」と共に還る場所。
そんなことをどこかで予感していたから、傷を負うのが怖い私は「かまってちゃん」に近づけなかったし、傷つくことができたからこそ「かまってちゃん」に出会えたのだと思います。
いつかの自分が還る場所。
「神聖かまってちゃん」は、私の心の中の大切な場所に今もちゃんといます。
・・・ちなみになんですが、の子さんとシロップの五十嵐さんは、干支と星座と血液型が同じなんですよ。
そしてもうひとかた最近知ったのですが、「藤井風さん」というアーティストが同じです。
天才輩出の星?
それではまた。