今日もちょっと時間があったので、自分の心の中に潜って、奥底の自分と向き合っていました。(記事を書くようになってから、暇になるとすぐそんなモードになります。)
 

 

その中である思いが浮かびました。

 

「にしても自分、毎日毎日よくこんなに記事書いてるよな。まるで立ち止まるのを怖がってるみたい。」

 

そして、はっとしました。

 

「そうだ。確かに心を暇にしていると、私ってすぐ「悲しみ」の感情に飲まれそうになるんだ。」

 

 

そうでした。

 

「共感してもらいたい」と始めたこのブログも、「共感」してもらうことで、「悲しみ」によりすぐ低下してしまう生きるエネルギーを生み出したかったからだった・・・。

 

 

記事を書いて自分を表現することで、人に共感してもらえなくても、自分の本心と共感できることでエネルギーが湧くことも知りました。(人に共感してもらうほどではないにしても)

 

そして来る日も来る日も記事を書いて、エネルギーを生み出し続けた日々。

 

 

でも、ふと立ち止まると、「悲しみ」の感情が、心をじわじわ侵食してくるのです。

 

そしてどんどんどんどん自分を良くない方に引っ張っていきます。

 

 

そんなことを思っていたら、ふと浮かんだsyrup16gの曲の一節。

 

「生き急いでるような景色を 選んでみせたかったけど

 

 君が側にいないのを 誤魔化して来ただけなんだよ」

 

 

「I'll be there 」(アルバム「darc」収録)です。

 

まさか自分のこんな状態で、この曲が浮かぶとは・・・。

 

 

確かに私も「誤魔化しているだけ」といえばその通りかもしれない。

 

だって、立ち止まるのが怖いもの。

 

「気を抜く」と「悲しみ」に飲み込まれてしまう。

 

だから、心からリラックスできないんだ。

 

 

いつも何かを愛して心を満たしていないと、満たされない心の隙間に良くないものが生まれてしまう。

 

それを生まないためにブログを続けてきた私。

 

「悲しみと向き合い続ける」ってそういうことだと、自分でも覚悟してやってきたんだろうけど、それをやり続けることにちょっと疲れている自分もいたんだな。

 

 

「痛みが終われば 悲しくなれる」

 

「痛みが終われば 優しくなれる」

 

もともとこの部分は大好きだったけど、「悲しくなれて」からも結構しんどいなあと思いました。

 

「悲しみ」は、「「受け止められる」べきなんだなあ、と思いました。

 

 

そっか。

 

だから「I'll be there 」なんだな。

 

 

この曲は、「(I'm not) by you」のアンサーソングのような気がしてとても大好きでしたが、今日はもうちょっとこの曲に近づけた気がします。

 

 

まさに、I'll be there ですね。

 

 

 

それではまた。