前回、記事を書いてみて「俺を猿扱いすな」って、お猿さんに失礼だったかな、と思いました。
(気にするとこ、そこ?)
でも、動物園の動物ってやっぱりちょっと「哀愁」漂いますよね。
もちろん愛されて大切にされているとは思いますが、やっぱり「見世物」ですもんね。
どうしてもちょっと「可愛そう」な存在として見てしまいます。それゆえの「比喩」でした。
「動物」といえば、私は子供を育てるまでは動物にほとんど興味がありませんでした。
動物もそうだし、人間の小さい子供とか、たぶん世の中の女子が「かわいい」とときめくような存在そのものに興味がなかったのです。
私がときめいていたのは、以前の記事でも書きましたが「ニコチャン大王」のようないわゆる「異形」「異端」な存在、あるいは、「哀愁漂うおじさん」のような「切ない」存在です。
・・・やっぱ変わってる・・・。「女子力」ないわけだわ。
まあ、昔からマイノリティや弱い立場の存在に惹かれがちだったんですね。
(そういえば「女装した男性」も大好きだった。)
もうこれは「血」ですね。
でも子供を育てて初めて「小さい子供」の可愛さが分かり、同時に「動物」も可愛いと感じるようになりました。
乳幼児の可愛さは、動物の可愛さとほぼ同じでした。
どちらも生命力に溢れ、ありのままの自分でのびのび生きています。
寝顔なんか、子供も動物もそっくりです。
(うちの子が特別ある動物に似ているとかそういうことではありませんよ。)
動物を家族のように可愛がる人の気持ちも分かるようになりました。
ところでよく「犬派」「猫派」とか言いますよね。
私はかなり「猫派」です。
猫の「自由・気まま」な感じや、伸びやかでしなやかな体の美しさ、人に媚びない感じ、実は「ワイルドさ・獰猛さ」を持っているところ(虎の仲間らしく)、あまり鳴かず静かなところ、「気高さ」が感じられるところ・・・。
挙げていくときりがないほど、私にとっては魅力的な存在です。
たぶん「犬派」「猫派」に分かれるのは、自分が持っているけど発揮できていない魅力をそれぞれの動物に感じるからでしょうね。
ということは、私が周りに対して見せている性格は「犬」っぽいのです。
人を警戒せず人懐こい。素直に人に従い義理を尽くす。愛想良くする。全く威圧感を感じさせない・・・。
心の中はとっても「異端」だったり「毒舌」だったりするくせに、人前では「いい人」を演じてしまいます。
まあ、そうしないと生きていけませんからねえ。一人っ子だし田舎住まいだし・・・。
私なりの「処世術」が、表面上の「犬的性格」です。
だから猫を見て猫に共鳴することで、自分の抑圧しがちな部分が解放されて、とても癒されるのです。
実は、今の住まいのご近所では、野良猫がとても大切にされていて、うちの前でもよくお昼寝をしたりしています。
車の下にいたり、上に乗っていたり、最近は狭いウッドデッキ(縁側?)の上がお気に入りみたいです。
全部で何匹いるんだろう?
子猫も2匹いるんですよ。
猫なんて飼ったことないから、子猫をこんなによーく見るのは初めてでした。
めちゃめちゃ可愛い❤
この子たちを写真にとってアップしたら、皆さんも癒されるかな?
でも、シャッター音とか光とか、猫は嫌じゃないだろうか?
そもそも猫の「プライバシー保護」は?
・・・実はあまり「写真欲」がなく、自分の子すらあまり撮らなかった私・・・。
もし可能なら、やってみますね。
それではまた。