前回の「悲しみ」についての記事を書いてみて、あるsyrup16gの曲を思い浮かべました。

 

以前の記事にも何回か登場した「(I'm not) by you」(「パープルムカデ」収録)です。

 

 

この曲は、悲しみを抱えたまま生きる心情が描かれています。

 

悲しみを忘れて前向きに生きることも出来ず、怒りに変えることも出来ず、まっすぐ向き合い受容していくことも出来ない日々。

 

私もそのような状態が随分長かったので(今でも私の一部はそうです)、心の深くに染み入る曲です。

 

 

歌詞の一部をご紹介します。

 

「時が経つのを こうやって ただ待ってる それだけ

 

 隠しきれない傷だって 消えてしまうものだって」

 

 

悲しみを抱えたままどうすることもできない。

 

「傷はいつか消える」という言葉も、本心はそう思えていない心情がうかがわれます。

 

 

「悲しみを追い払ったら 喜びまで逃げてった

 

 あの日から 僕は全力で 走ることをやめたんです」

 

悲しみを感じるのを止めたら、喜びも感じなくなってしまった。

 

生きるエネルギーが生み出せない状態です。

 

 

「喜びを感じない」状態は「何も愛せない」状態だと思います。

 

それが、曲名にもなっている次の歌詞に繋がります。

 

「I'm not by you」

 

愛せない=そばにいれない、ということだと思います。

 

これが曲名では「(I'm not) by you」と()が付けられています。

 

この()は以前の記事でも説明しましたが、「本当はそうしたい。でもできない。」という気持ちを表現していると思います。

 

つまり、本当はそばにいたい、つまり愛したいんだ、という気持ちです。

 

これは以前の動画で五十嵐さんが「そばにいる」と連呼されていたことからも伺われます。

 

 

この曲は、「悲しみが強すぎてあなたを愛すことが難しいけれど、本当はそばにいて愛し愛されることで、悲しみを癒したいんだ」という心情を表現していると思います。

 

 

この心情は2番の歌詞からも伺われます。

 

「一つ残らず計算で 割り切れないものばかり

 

 確かなことは少しだけ この胸にある思いだけ」

 

 

悲しみを割り切って器用に生き抜いていくことは出来ない。

 

いくら感じることをやめようとしても、ちゃんと自分の中には思いが残る。

 

その思いを「確かな」ものと感じ、大切にしたいという心情だと思います。

 

 

「悲しみ」を大切にしながら、愛する人のそばにいたい。

 

この曲からは、そんな思いが感じられます。

 

胸に迫るような切なさを感じれる歌詞で、とても好きです。

 

 

曲の方はまた、ものすごく素晴らしいです。

 

私はこの曲が、2番目くらいに大好きです。(2番、3番は複数います)

 

 

とにかく「切ない」。

 

とにかく「シンプル」。

 

 

私の大好きな要素です。

 

 

「シンプルさ」についてですが、一つ一つの音が全て美しく、無駄なものは一つもなく(シロップの音楽はそもそもそうだと思いますが)、耳に心地よく響きます。

 

ギターの軋む音?さえ愛おしく、1音も聴き漏らしたくない感じです。

 

 

特に、サビの部分のギターが奏でるアルペジオ(多分)は美しく、歌とギターで同時に二つの美しい旋律が鳴っている感じです。

 

また、間奏とアウトロのギターは、コードがそのまま美しいアルペジオを奏でている感じで(音楽的に疎いもので意味不明だったらすみません)、もはやこれはアルペジオなのかメロディなのかすら分からない美しい旋律です。(ほんとに変な説明ですみません)

 

 

曲の方の説明が大変稚拙で申し訳ありませんが、とにかく大好きで大好きでたまらない曲です。

 

「悲しみ」の心情が描かれた曲だと思いますが、曲があまりに美しいので、私はいつもものすごく集中して味わい、うっとりしてしまいます。

 

…前の記事で「運転しながら音楽を聴く」と書きましたが、運転中にうっとりしているヤバいやつ、と思わないでくださいね。

 

意外とそういうのは器用に出来てます。

 

 

 

それではまた。